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 M-1やキングオブコントなど賞レースのチャンピオンも出演するお笑いライブの制作会社の代表が、どんな仕事にも役立つ仕事のコツを大公開する『笑って稼ぐ仕事術 お笑いライブ制作K-PROの流儀』(児島気奈/文藝春秋)。同書から、第一期M–1終了に伴い、お笑い業界に走った激震についてのエピソードを転載します(全4回の1回目2回目を読む)。

「M‒1がないなら」と解散するコンビも…お笑い界に激震

 こうして、ライブ制作の仕事をやるために営業の仕事をこなしていた2010年、私がこの業界に入って以来、一番「時代が変わるんだ」と切実に感じた事件が起きました。「第一期M‒1グランプリ」が終わったのです。

 「M‒1が終わるらしいっすよ」との噂が流れてきたのは、2010年の夏頃でした。

 『エンタの神様』、『爆笑レッドカーペット』といった数々のスターを輩出していた番組もこの年の頭にレギュラー放送が終わり、すでに「お笑い氷河期突入」という言葉が、会話や雑誌などで飛び交っていた頃でした。

 M‒1終了の噂を聞いて、コント師の方々は「マジか……じゃあもうM‒1に合わせて、4分尺の漫才を作る意味なくなるじゃん」「じゃあ漫才じゃなくコントのほうがいいってこと?」などと深刻そうに話していましたが、漫才師の方は、「いいよもう、出たくないし」「ようやく戦わなくて済むわ……」と、毎年恒例の重圧がなくなることを喜んでいる芸人さんのほうが多かったです。

 ただ、それは当時のK‒PROライブによく出てもらっていた中心メンバーの話で、それまでに何度も準決勝や敗者復活戦でその日一番の爆笑を取っても落とされてきたり、『爆笑オンエアバトル』や『笑いの金メダル』など、出演するネタ番組のほとんどで競わされてきたという「戦場から戦場への芸人人生」からようやく解放されるという安堵感があったからだと思います。彼らよりも下の世代の芸人さんは、「M‒1で勝つためにお笑い芸人になった」とか「日本一の漫才師になりたい」という考えの方が多かったので、絶望感に浸っていました。

 フリーで活動していた芸人さんには、情報が降りてくるのが遅いので、M‒1が終わると知らない方も多く、「来年は三回戦まで行きたいんですよ!」と未来に希望を持ちながら話しかけられて、説明していいものかどうか悩むことも多々ありました。

 人気も実力も出てきていたのに、「M‒1がないなら芸人やめます」と解散してしまったコンビもいて、M‒1終了は、お笑い界においてものすごく影響があったんです。

 ご存じの通り、この翌年からM‒1に代わる大会として、芸歴無制限のTHEMANZAIが始まり、2015年にはM‒1が復活するのですが、当時は誰も知らなかったので、芸人をやめたり、プロを諦めた有望な学生芸人などが多数いました。続けていたら何かしらの賞を絶対に取っていたと思うコンビもいたので、こうして振り返っても本当にもったいないです。

2023.12.24(日)
著者=児島気奈