当時の若者は、中沢新一のチベット密教を讃える本を読んで関心をもち、オウム真理教に入信していたものが少なからずいたらしいと聞く。そして1980年代後半の時点では、ニューアカデミズムの旗手とうたわれた浅田彰も、中沢新一の盟友として、間接的にその流れを後押ししていたという印象がある。浅田は、この時代の自分の言説については、今はどう考えているのだろう。

 実際のところ、直接の知り合いとして、オウム真理教の信者だった人と出会ったのは、地下鉄サリン事件が起きて、教団が強制捜査を受けて解散命令をくらっていた後の年代だったので、リアルタイムで80年代から90年代前半にかけての同教団の動向を詳らかに知っているわけではないものの、信者だった知人を介して、その生活様式や信仰形態について、相当程度に詳しい知見を得ることができた。

 また、昨今話題になっている統一教会の布教は、私が大学生だった時代には、とにかく盛んで、大学に行くと、ビラを配る勧誘員が大勢いて、しょっちゅう勧誘を受けていた。同じクラスには統一教会の信者になったのがいて、その教団から連れ戻そうと家族が奔走している話などを目の当たりにして、それもまた身近に感じていた教団である。私が東大にいた時代に、東大生で切れ者の統一教会信者がいるという噂を聞いたことがあったが、これが私とほぼ同年代で東大に入学していた仲正昌樹であったのは、後でわかったことである。その後一度仲正昌樹と対談する機会があったが、これもまた妙な運命の巡り合わせであると感じた。

 ここにあげた二つの教団だけでなく、80年代の東大キャンパスは雨後の筍のように湧いた、さまざまな新興宗教の教団が百花繚乱となり、信者獲得競争に血道をあげていた時代である。この時代に宗教全般に興味関心をいだいていた私は、そのいくつかの教団の勧誘に乗って、その教義内容や入信後の生活のありようなどを実地に教わってきた。というわけで、この1980年代の大学キャンパスにおける宗教勧誘の実態については、実地の知見や経験がある分、他の人よりは詳しく通じている面がある。そして、文学作品を見回した場合、学生運動や左翼活動を小説化した作品がいくつもあるのに比して、その後に勃興した新興宗教活動を文学として描いた作品はほとんど見当たらない。ルポルタージュやノンフィクションで信者の告白や手記を書籍化したものはあるが、小説にしたてられたものは少なく、それならば私がこのテーマを書くのに適任であるだろうと考えた面がある。

2023.04.24(月)
文=小森 健太朗