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子育ての気配を消すしかなかった

上野 均等法があったからこそ浜田さんは記者職で新聞社に入り、地方支局勤務を含めてそれなりの出世コースもあるなかで生き延びてこられた。前著でも、管理職になって初めて、同僚のなかに自分と同じような子持ちのワーキングマザーがいることに気がついた、と書かれています。それまでどうしてわからなかったんだろうと振り返ってみたら、実は自分も含めて、女性たちはみんな家庭があることを表に出さないようにして働いてきたということに気がついて愕然とした、と。

浜田 そうです、気配を消すっていう感じです。

上野 均等法ができたときに、大沢真理さんが「この法律はテーラーメードだ」と見事な表現をなさいました。「テーラーメイド」とは紳士服仕立てという意味です。つまり、紳士服に無理に体を合わせた女だけが生き延びられる、男と同じように働けば同じように処遇してあげるというのが均等法でしたから、その生き残り組が30年後の今、このように反省を込めて書いておられることに深い感慨を覚えました(笑)。

浜田 そのことに長い間、気づかなかったわけです。上野さんはよく「ネオリベ(ラル)フェミニズム」と否定的におっしゃっていましたけども、私たちはそのようにしか生きられないと、どこかで思っていたわけです。ここが変わるなんて、変えられるなんて思ってもみなかったんですね。

上野 ええ。

浜田 私がすごく反省しているのが、「AERA」の編集長時代のことです。当時の校了時間は夜中でしたが、子どもがいても夜中の校了時間まで編集部にいなければ、当然副編集長も編集長も務まらないと思っていました。あるとき、10歳年下のワーキングマザーの女性編集部員に「校了時間って早められませんか」と言われたんです。私は「それは難しい。印刷所との間でこの時間って決めているんだから」と答えました。つまり私は、そのシステム自体を変えようとしなかったんです。

上野 均等法世代一期生は、既に出来上がったシステムの中に自分が適応するしかないと思われていたわけでしょう。また本書で、ご両親を地方から呼び寄せられたことを書かれていますね。官僚だった坂東眞理子さんも、子どもが2人おられて、よくこの激務のなかで、と思っていたら、実はお母さんを呼び寄せられて同居していたというので、「なんだ、そのことを本に書いていないじゃない」と思ったことがありました(笑)。

 浜田さんもそういう種明かしをなさいましたが、下の世代から「お母さんを呼び寄せることにためらいはなかったんですか?」と聞かれ、「ない」と答えたときの浜田さんの屈折した思い、それが若い世代にはたぶんわからなかっただろうと。そこはグッときて涙なしで読めませんでした。

2022.12.19(月)
文=鳥嶋夏歩
撮影=釜谷洋史