「役について分析したり、シーンの意味について監督に質問したり……若いうちはそうしたがるものさ。でも、あまり役の感情を深掘りしすぎるとくどい演技になる。たとえば今回、『私の母が……』というセリフを言った時、子供の頃のすべての思い出がいっきに蘇ってきて……。オーバーアクトになってしまったから、やり直したよ。

 ラスト近くのシーンでも演技ができなくなったな。セットに小道具の老眼鏡があるのを見て、父の死の床の傍らにも老眼鏡があったのを思い出したんだ。地図もあった。ついに行けなかったアメリカの地図だった。

 出来上がった『ファーザー』を観たら、私が、私の父に見えた。父はたくましいパン職人だったが、死が近づくにつれて、どんどん憂鬱で怒りっぽくなり、ちょっとしたことで『どういう意味だ?』と突っかかって、私や母を苦しめた。でも、今なら父が不機嫌だった理由がわかる。父は怖かったんだよ、自分が壊れていくことが」

 娘を演じるオリヴィア・コールマンの母は高齢者の介護士だった。母親から彼女が教わった介護の秘訣は、認知症の老人の記憶違いを決して正さないことだという。

「老人を傷つけ、自信や尊厳を奪うことになるからね。特に長年の伴侶を失って、それを忘れた人が『妻はどこだ?』と尋ねた時、『もう亡くなりましたよ』などと言ってはいけない。その御老人は伴侶を失う辛さをもう一度味わうことになるから。介護士は、代わりにこう言う。『もうすぐ帰ってきますよ』と。切ない言葉だが、同時に本当に思いやりに満ちた言葉じゃないか」

 

生きるということは聖なる奇跡

 ホプキンスは40代の頃、父の死を看取った。

「あの日のことは今でも覚えている。私は外に出て、ウェールズの故郷の町ポート・タルボットの公園を歩いた。いつの間にか春になっていて、桜の花が満開だった。私は『ようやく終わりました』と神に感謝した。父の人生の幕は閉じたが新しい命のステージが始まっている。それは私の目を開いてくれた。いつの日か私も死ぬだろう。そして桜は咲く。それが人生だ。命はそんな風に移り変わっていくんだ」

2021.05.03(月)
文=町山 智浩