街の中心に王家の宮殿“パラシオ・レアル”が鎮座する首都マドリード。そこは、ハプスブルク王朝の風情を今に残し、絢爛な時間を楽しむ麗しの都。まだまだ知られていない、この街のリアルな魅力をくまなくご紹介しましょう。

 3回にわたり、マドリードの美術、ホテル、買物情報を紹介。今回はマドリード美術案内です。

» 第2回 風格あるホテルで贅沢に過ごす
» 第3回 マドリードで見つけたかわいいもの。

プラド美術館で学ぶスペイン王朝物語

 16世紀から首都として発展と繁栄の道を歩んできた王家の都マドリード。この街に受け継がれてきた偉大な歴史と、そこに息づく豊饒な文化を学ぶなら、世界三大美術館のひとつといわれる、プラドに行くのがおすすめです。

案内人は……中野京子(なかの・きょうこ)さん
 ドイツ文学・西洋文化史家。美術とオペラに関する著作が人気を集め、雑誌をはじめ、テレビなどでも活躍。『ハプスブルク家12の物語』(光文社新書)、『中野京子と読み解く 名画の謎』(小社刊)など著書多数。

館内で繰り広げられるめくるめく王室大河ドラマ

スペインへ食い込んだハプスブルク家

「戦争は他の者にまかせておけ。幸いなるかなオーストリアよ、汝は結婚すべし!」。これがハプスブルク家の有名な家訓であり、せっせと王子王女を他国の王室へ送り込んで勢力を拡大していったわけだが、その最初のもっとも成功した例が、対スペイン戦略だった。

『狂女フアナ』(1877年) フランシスコ・プラディーリャ
夫はまだ死んでいない――妊娠中の女王フアナは、憑かれたように両の目を見開き、黒塗りの寝棺を凝視する。従者たちのうんざりした表情や、荒野に吹きすさぶ烈風が、彼女の悲劇性をドラマティックに高めている。
copyright :Museo Nacional del Prado

 マクシミリアン1世の息子フィリップ美公と、スペインのイサベル女王の娘フアナの間に生まれたカール5世は、ヨーロッパ史上最多の70もの肩書きを持つことになる(神聖ローマ皇帝、スペイン王、ドイツ王、ブルゴーニュ公etc.)。さらに南米やアジアやアフリカにまで領土を拡大し、1日24時間、領地のどこかで必ず太陽が照っているという、文字通り「陽の沈まぬ国」を形成した。カール5世は引退するにあたり、弟のフェルディナントに神聖ローマ皇帝を含むオーストリアを、息子フェリペにスペインを譲った。当時としては勿論スペイン獲得の旨みのほうがずっと大きい。南米という、金のなる木を有していたからだ。

 こうしてハプスブルク家はオーストリア系とスペイン系に分かれたが、親戚国としての結びつきは強く、互いに子どもたちを血族結婚させ続けた。それが皮肉にも、スペイン・ハプスブルク家を絶滅へと導くことになる。

『カール5世騎馬像』(1548年) ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
フアナの息子で神聖ローマ帝国皇帝カール5世は、戦場から戦場への人生であった。これはミュールベルク戦で敵を叩きのめした戦勝記念大作。甲冑姿も凛々しい武者ぶりだが、現実には痛風のため輿に乗って移動していた。
copyright :Museo Nacional del Prado

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photo:Atsushi Hashimoto
realization & text:Shojito Yano
coordination:Yasuo Taniguchi / Yukiko Hori
illustration:Kanako Sasaki / Masako Kubo