代々の国王の墓や皇后の王冠
そしてマフィアに暗殺された司祭の墓も

大聖堂の入り口にコーランの浮き彫り。イスラム帝国支配時代のモスクだったときの名残だが、パレルモの文化融合の歴史や異文化への寛容性を物語る。

 パレルモの大聖堂カテドラーレは、紀元前にすでに聖なる地だった場所にあります。

 313年に古代ローマ皇帝コンスタンティヌスによってキリスト教が公認されるとすぐ、最初の教会が建設され、次いでビザンチン様式の教会になり、イスラム教のモスクになり、そして再びキリスト教の教会に。

 現在見られる大聖堂は、1185年に建築されたアラブ・ノルマン様式の教会をベースに、約800年もの歳月のなかで、ゴシック様式、バロック様式、新古典様式で増改築を繰り返したもの。椰子が揺れるエキゾチックな港町、壮大な地中海の歴史のなかで生きてきたパレルモという街にふさわしい姿をしています。

国籍・宗教を問わず優れた学者や芸術家を保護し、キリスト教、ギリシャ正教、イスラム教、ユダヤ教が共存する国家と世界唯一のアラブ・ノルマン様式を築いた立役者たちの墓。

 大聖堂内部には、初代シチリア王ルッジェーロ2世、シチリア王・神聖ローマ帝国皇帝フェデリコ2世やその妻たちの石棺や、フェデリコ2世の妻コスタンツァの王冠が展示された宝物館、23体もの歴代司祭の石棺が並ぶ地下のクリプタなどの貴重な歴史遺産が保存されています。

 そしてマフィアによって暗殺され、近年ベアート(聖人に継ぐ地位)に認定されたパレルモ出身の司祭ジュゼッペ・プリージを祀る祭壇も。ちなみに、パレルモの空港の名前にもなっている反マフィアの英雄ファルコーネ判事の葬儀も1992年にこの大聖堂で行われました。

宝物館で見られるフェデリコ2世の妻、神聖ローマ皇后コスタンツァ・ダアラゴーナの王冠。15世紀に石棺内から発見された。

 パレルモの長い歴史を見守ってきた大聖堂の屋根からは、人々が生き生きと暮らす今の旧市街が一望できます。

 紀元前7世紀頃に入植したフェニキア人が街を建設し、古代ローマ、ビザンチン文化が流入し、アラブ首長国として栄え、ノルマン人によってシチリア王国が成立すると首都となり、スペイン帝国の支配下ではバロックの華が咲き、イタリア統一後はフローリオ家の庇護の下、地中海随一の豊かさを謳歌した街。

 戦後の混乱、マフィアの暗躍も今や昔。約3000年の歴史が培ったポテンシャルで、再び復活を遂げようとしているかのようです。

歴代司祭の石棺が並ぶ地下クリプタ。各石棺に施された細工が見事。
礼拝堂の裏に一般利用可能なトイレの入り口が。もしかしたら世界で一番美しいトイレの入り口かも!?

 2017年10月に開催された“普段は見られない歴史と文化の至宝”である教会の宝物殿や貴族の館、地下洞窟など約110スポットを一般開放したイベント「Le Vie dei Tesori~宝物への道」は、約30万人を動員し、来年の年間開催が決定しています。

 この機会にぜひ、知られざるパレルモへの旅を企画してみては?

Cattedrale di Palermo
(パレルモ大聖堂)

所在地 C.so Vittorio Emanuele, Palermo
電話番号 091-334373
http://www.cattedrale.palermo.it/

岩田デノーラ砂和子
2001年よりイタリア在住のライター/コーディネーター/通訳。現在はシチリア州パレルモ在住。イタリア専門コーディネートチーム「Buonprogetto.com」を主宰するほか、個人旅行者向けイタリア旅行サイト「La Vacanza Italiana」を運営。イケメン犬ボン先輩とヤラカシ系イタリア人の夫との日々を綴るBLOG「ボン先輩は今日もご機嫌」が、ただ今人気急上昇中!

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文・撮影=岩田デノーラ砂和子