ある日、とある文芸編集者に「不自由な心」をそんなふうに評され、その場では「そうかも知れませんね」と引き下がってきたものの、夜中にあらためて読み直してみて、明け方まで悔しくて眠れないという生まれて初めての経験をした。

 ならば取材で知悉している政治の世界を舞台にした長編で勝負しようと思い立ち、アパートまで借りて書き上げた『すぐそばの彼方』(角川文庫)も何人かの編集者に読んで貰ったが、まったく相手にされなかった。

 お蔵入りをした「星条旗」は、宮城谷昌光さんを発掘したことで有名な海越出版社の天野作市さんに持ち込んでみると、高く評価してくれて、すぐに本にしたいと言ってくれた。そうやって私の初めての本が彼の手で世に送り出されることになった。「星条旗」は改題し、他に、やはりお蔵入りしていた「花束」と「砂の城」(ともに文春文庫『草にすわる』所収)と併せて一冊とした。

 それが一九九四(平成六)年十一月に出版した『第二の世界』(海越出版社)である。

 著者名はすばる文学賞の佳作となったときに使っていた「瀧口明」。「瀧口」は私が若い頃に惑溺した作家、滝口康彦さんにあやかって付け、「明」は同年代の男性に最も多い名前の一つであることから選んだのだった。

 その『第二の世界』もまったく何の反応も呼び起こすことはなかった。

 ただ、たった一人だけ収録の一作「花束」を褒めてくれた人がいた。文春の平尾隆弘さんで、彼とは「文藝春秋」編集部で席を同じくしたこともあったのだが、名編集者として鳴らした平尾さんに会社の階段で不意に呼び止められて、「白石君、あの『花束』という小説は凄く良かったよ」と言われたことは一生忘れないと思う。

 他社の誰に読んで貰ってもけんもほろろの扱いを受けるので、思い余って「卵の夢」(『不自由な心』所収)という作品を、「実は、これ、僕の大学時代の親友が書いた小説なんですが……」と文春の文芸編集者に読んで貰ったこともあった。しばらくして、「読んだよ」と言われ、

2022.12.26(月)
文=白石 一文