「また会いにきてくれる?」と薄れゆく意識の中で尋ねる和子。深町は、きっと会いに来るけれどその時には深町一夫ではなく「きみにとっては、新しい、まったく別の人間として……」と答える。

 こうして和子はいつもどおりの日常へと。しかし彼女の中には“予感”だけが残っている。「――いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ」。恋を知らなかった少女が、恋を失うことで、自分はもう恋ができるということを知り、運命の人との出会いを待つようになる。そういう通過儀礼、成長の物語として原作小説はまとめられている。

 

大林版を際立たせる「原作からの決定的な変更点」

 それに対し大林版は冒頭に「ひとが現実よりも理想の愛を知ったとき、それはひとにとって、幸福なのだろうか? 不幸なのだろうか?」と置く通り、古風な愛の物語として『時かけ』を取り扱った。

 そのため和子は高校生で、既に恋という感情を自覚しつつある少女として描かれる。

 例えば序盤、自転車を避けた瞬間、和子は深町の胸に飛び込んでしまう。帰宅後、彼女は自室でキス人形にキスをさせつつ、その時のことを思い出すのである。

 そしてクライマックス、和子は、深町との幼い頃からの思い出が、実は吾朗との思い出を彼が超能力で書き換えたものであることを知る(このためにこの映画は冒頭の列車のシーンで、吾朗が深町に席を譲る様子を描いて、その立ち位置を暗示している)。

 そんな残酷な真実に対して和子は「でも私の気持ちはウソではなかったわ」「あなたとの思い出を大事に大事にして生きていきたい」と自分の思いをぶつける。

 恋とは選ぶことだ。そして選んでしまった以上、元に戻ることはできない。土曜日の実験室で深町と会う直前、和子は吾朗に「ありがとう」と告げ、そしてその背中に「さようなら」とつぶやく。この時、彼女は選んだのだ。偽物の記憶が生んだ、本当の恋に殉じる道を。

2022.07.08(金)
文=藤津 亮太