金子文子に影響を受けた中学生時代

 『両手にトカレフ』は、現代を生きるミアの視点と、ミアが読んでいる文子の刑務所回顧録をなぞるパートとが交互に書かれ、ふたりの少女の軌跡と闘争が重なっていく。

「文子が大人になってからについては『女たちのテロル』でも書いたことがありますが、彼女がアナキズムという思想を持つに至った大きな基盤は子ども時代の経験にあるので、それを書かないわけにはいかないと思っていたんです」

 ブレイディさんと金子文子との出合いも、ミアと同じくらいの年だったという。

「最初に知ったのは、瀬戸内寂聴さんの大正の女性シリーズです。祖母の本棚に、田村俊子や岡本かの子、伊藤野枝らの評伝がありました。私は祖母の本棚にあったそれをむさぼるように読み、『ごっつい女たちがいたもんだ』とすごい影響を受けたんです。」

 しばらくして、母親に連れられていった古書店で見つけたのが、『何が私をかうさせたか――金子ふみ子獄中手記』だ。みずみずしい文章に、それまでの文子の印象が一変した。

「その自伝はかなり早くから英訳されています。それこそブライトンの図書館の“世界のフェミニズム”の棚に、アジア人で唯一入ってる女性運動家の本でした。ブライトンは昔からアナキストが多い土地柄で、きっと誰かが注文したんでしょうね。保育士の資格の勉強のため図書館に通っていたころ、その文子の自伝をイギリスの若い女性が手に取っているところを目撃して『この光景を私は一生忘れないな』と思ったのを覚えています。100年の時空を経て、日本とイギリス、ノンフィクションの文子とフィクションのミアがつながっているんだなと」
 
 ブレイディさんは、文子とミアのちょうど真ん中くらいの年齢だ。文子とミアを結びつけた当事者であり、彼女たちはブレイディさんの人生ともつながっている。

「そうですね(笑)。文子とミアの二人三脚ではなく、むしろ私を間に挟んだ三人四脚。両手にトカレフならぬ、両手に少女で駆け抜けた気分です」

 物語は、ミアや文子の窮状が描かれつつ進み、途中まではトーンも重い。それでもミアのパートでは、ミア一家に手を差し伸べようとするゾーイや娘のイーヴィ、ソーシャル・ワーカーなどがいることにほっとする。ゾーイがボランティアとして働くカウリーズ・カフェは、貧困者支援や移民支援のハブになっている場所だ。もう一つ、ミアにとっての光になったのは、ラップのリリックを書いてみたこと。一緒にラップを作ろうとミアを誘った同級生のウィルの存在が、ミアの現実に変化をもたらす。

 読めばわかるが、このウィル少年の優しさや高潔さは、ブレイディさんの息子さんを彷彿とさせる。

「よく言われます(笑)。小説中には、ウィルのようなキャラも絶対に出そうと思っていました。最初はミアみたいな階層の子がいることを想像もできないけれど、自分が恵まれていることに気づき、彼は彼なりに傷つきます。『他者の靴を履く』でも書いたことですが、違う階層にいる者同士にとって、相互理解の手助けになるのはエンパシー(自分とは違う他者への想像力)です。互いに100%わかり合えなくても、わかりあえないからこそわかるための努力を拒否したり、諦めたりしてはいけない。『他者の靴を履く』を書いた頃より、いまのほうがそれは切実になっている気がします。本書のラストは、これまで連綿と書いてきたことの延長ですね。書きたいことは、ノンフィクションでも小説でもずっと同じです」

ブレイディみかこ

福岡県生まれ。1996年からイギリス・ブライトン在住。『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で毎日出版文化賞特別賞などを受賞。著書に『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』など多数。

両手にトカレフ


定価 1,650円(税込)
ポプラ社
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2022.06.11(土)
文=三浦天紗子
撮影=Shu Tomioka