歴史の比類なき価値に触れ、そこで時を過ごすことに、何を見出すのか

 かつて貴人たちが実際に生き、住処とした異次元を宿とする、想像を絶する幽玄な旅がある。

 圧倒的な格式を誇る仁和寺、過去に何度か訪れ、視界を埋める境内の桜に泣きそうになった記憶もあるが、皇族が千年も住職を務めた寺は厳か過ぎて拒まれている気さえした。

 しかしここに宿泊ができ、閉門となる17時から朝7時半までこの世界遺産全体をほぼ貸切できると知った途端、いきなり距離が縮まり、その懐に抱かれたくなった。

 なんと基本非公開である金堂や五重塔なども含め僧侶が境内を案内してくれ、五重塔内の大日如来像のお顔さえ拝めるのだ。

 宿泊は寺侍屋敷「松林庵」、電気設備のない「御殿」での晩餐は行灯の光の中で。想像して欲しい。それは旅の概念を超える、神秘的な体験。独り占めできる14時間半、眠ってなどいられない。

 天皇ゆかりの茶室でお点前、仄暗い宸殿で雅楽も堪能できるし、真夜中の境内庭園を月あかりと手燭だけを頼りに散策し、夜明け前から始まる僧侶たちの朝勤行にも臨みたい。夢のようではないか。

 ただこれほどの体験を、単なる旅の一興で済ませてはいけないと思うのだ。それは宿泊者の姿勢やある種の覚悟まで問われるような時間となる。物見遊山で出かけていくべきではないのだ。

 比類なき価値に触れ、時を過ごすことに一体何を見出すのか。言ってみればそこを一つの舞台として、自分が何かを表現するほどの強い思いがなければ、千年を超える時の重みにただ飲み込まれてしまうだろう。

 自分たちもその時空の一部になりすますつもりで、格式を壊さずふさわしい着物、華美にならぬよう、例えば一つ紋の色無地を身に着け、ふさわしい所作で、大切な時を心静かに、しかし全身全霊で体験すべきなのではないか。

 1泊100万円と聞くと一瞬たじろぐが、1組最大5名まで宿泊可能というから、思いを共有できる友人たちを誘って必ず実現したいと目論んでいる。

文=齋藤 薫
写真・撮影=WEFT Hospitality(Ninna-ji)、Austrian National Tourist Office(Wien)、橋本 篤