シチリア王の直筆レターや
1860年に撮影された3D写真も!

 パレルモ歴史公文書館があるのは、かつてユダヤ人居住区だった旧市街でも古い地区。経済の拠点、また東西文化の交差点として主要な街でありつづけたパレルモは、多様な人種や宗教が出会う場所でもあったのです。

筆致も生々しい1392年5月15日発行の公文書。シチリア王マルティン1世、その妻のマリア(前シチリア王女)と父アラゴン王マルティン1世によるもので、内容は「アンドレア・キアラモンテ侯への恩赦宣言」。キアラモンテ家は、現モディカ一帯を統治していた当時のシチリアを代表する封建貴族。アラゴン家支配に反対した罪に問われていた。
マルティン1世の封印(蝋の部分は劣化して消滅している)。

 もともとシナゴーグだった場所に建てられた17世紀のサン・ニコロ・ダ・トレンティーノ教会付属ドメニコ派修道院を改築し、公文書館となったのは1866年から。本館には13世紀後半から1957年までの文書が保管されています。

シチリア王アルフォンソ5世が、1435年11月2日に出した市民への通達。「今後、ユダヤ教信者向けの肉屋は店頭に赤い丸印をつけるので、パレルモ市民は、キリスト教信者向けの肉屋と区別できるようになる」と書かれている。

 ローマ法王や歴代シチリア王から発行された市民への通達や許可、権利などに関する証明書。各種契約書、財産目録、議会から発令された法規……、さらにはシチリア銀行が発行した証券類、各時代の地図、そして記録のために撮影されたドキュメンタリー写真などまで、保管されている史料は膨大かつ多彩です。

左:ムッソリーニ時代の1936年に、コルレオーネからキウーザ・スクラーファニまでの鉄道建設のために発行されたパレルモ県の債券。
右:パレルモのトラム会社の株券。1909年発行で額面は250ベルギーフラン。当時、ヨーロッパ各国が投資するインターナショナルな街だったことがうかがえる。

 パレルモの街は海沿いにあるうえに、公文書館の地下には川が流れており、実はとても湿気が多い立地。湿度調整機能をもつ地下室を設置するなど、アルメイダによる設計上の工夫によって、貴重な歴史的公文書は、致命的なダメージを受けることなく、遺されているのです。

リソルジメント(イタリア統一運動)真っ只中の1860年6月2日に撮影されたステレオスコピー(3D画像)。撮影者は、当時文化の中心地であったパレルモにスタジオを構えていたフランス人カメラマン、ウジェーヌ・セヴェストル。爆撃によって崩壊し、トレド通り(現ヴィットリオ・エマヌエーレ大通り)に雪崩落ちる瓦礫の跡が見られる。

 手書きでしたためられた約800年分の膨大な書類は、まさに人々がここで生きて、暮らしていた証拠。今も昔も、歴史は日々つくられていくものなのだと実感せざるを得ないパレルモ歴史公文書館。遥かなる地中海の歴史ある街が、“生きた街”としてリアルに胸に迫ってきます。

パレルモ歴史公文書館
所在地 Via Maqueda, 157 Palermo
電話番号 091-740-1111

岩田デノーラ砂和子
2001年よりイタリア在住のライター/コーディネーター/通訳。現在はシチリア州パレルモ在住。イタリア専門コーディネートチーム「Buonprogetto.com」を主宰するほか、個人旅行者向けイタリア旅行サイト「La Vacanza Italiana」を運営。イケメン犬ボン先輩とヤラカシ系イタリア人の夫との日々を綴るBLOG「ボン先輩は今日もご機嫌」が、ただ今人気急上昇中!

 

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文・撮影=岩田デノーラ砂和子