それまでの私は、東海林先生の作品とは、やんわりお付き合いしてきたという感じです。というのは、新聞や雑誌を開くと、当然いつもそこに東海林作品があるでしょう。ああ、あるな、と格別に意識することもない。

 今回、本書を改めて熟読して、真っ先に考えたのはそこですね。

「いつでもそこにあるのが当たり前だと思ってはダメだな。実家にもいつでも帰れると思っているし、東海林さだおの作品もいつでも読めると思っているけど、こうしていちいち、ちゃんと読んでおかないともったいないな」

 本当にそうですよ、皆さん。

 そして、共感できるところがたくさんあるのも発見でした。

 たとえば、東海林作品においては、食べ物がよく擬人化されますよね。

 本書で言えば、かっぱ巻きの話や、ビールのおつまみとしての枝豆と空豆の「元カノ次カノ」問題なんかがそうですね。

 私も時々、まくらやラジオで話したりしますが、そこらへんに置いてあるモノはいま何を考えてるんだろう、俺のことどう思ってるんだろう、なんて妄想にふけることがよくあるんですよ。

 私はハンバーグが好きです、という人に、

「ハンバーグは君のこと、そうでもないと思う」

 と断言してみたりね。

 だって、あなたはどういう時にどういう表情で食べるべきだと思っているのか。それくらいの気持ちをもってハンバーグに接しているのか。そんな真剣な気持ちは、どうかするとハンバーグにも伝わるかもしれない。

 ハンバーグは生きてない? いや、生きてるとか生きてないとか関係ない。

 いつもよりおいしく感じることがあれば、それはハンバーグがより自分を好いてくれているから、つまり二人の気持ちが通じた結果だから。

 大事なことは、いつも同じニンジンのつけあわせばかりじゃなくて、工夫してたとえば大根おろしとポン酢にしてみる。この新しいつけあわせで、ハンバーグのテンションもポテンシャルも、ぐっと上がるわけです。

 そうなると、一方でハンバーグに添えられた大根おろしの気持ちはどうか。こんなに脂っこいものに添えられるのは、天ぷらに添えられて以来ではないのか。

2023.05.03(水)
文=春風亭 一之輔(落語家)