ダイアナの人生はギリシア悲劇を思わせる

 もっとも、本作をクラシックな伝記と隔てている白眉、それは中盤に登場するサイコロジカル・サスペンスとも呼べるような幻想的なシーンだろう。ダイアナは屋敷を抜け出し、近隣にある自身の生家でいまは廃墟となっている館を訪れる。それは彼女にとって、戻れない過去、あるいは自身の潜在意識を象徴するような場だ。いまは亡き父の面影を感じ、やがて彼女は、まだなにものにもとらわれていなかった少女期を思い出す。無邪気で自由な人生を満喫していた時代。あの頃の自分はいま、どこに行ってしまったのか。

 ラライン監督はこうしたメタファーを用いながら、ダイアナの内面の葛藤を掬い取り、いかに彼女が決断に至ったかを示唆してみせる。

 「僕は彼女の視点に入り込みたかった。彼女になるべく密着して、理解しようとすれば、そのフィーリングを感じることができる。あれほどの葛藤のなかにいたのなら、心理的な恐怖となって苛まされることもあったと思う。そこから夢や記憶が、彼女にとってはときに脅威的なものにもなり得るのではないかという考えに行きついた。

 ダイアナの人生はギリシア悲劇を思わせる。僕らはみんな、彼女がこのあとに悲劇的な最期を迎えたということを知っている。だからこそ僕はここで、穏やかな状態に彼女を導きたかった」

 その言葉通り、ラストで子供たちふたりを乗せ、車を疾走させるシーンのダイアナの表情は、晴れやかさに満ちている。迷子になった行きとは反対に、王室ファミリーを後にする彼女はなんとも軽やかで解放的だ。

 本作のダイアナ像に賛同するか否かはもちろん、観客の自由だ。だが、自分にとっての真実にたどり着くために彼女がみせた勇気は、立場を超えて、我々の生き方に新たな視野をもたらしてくれるのではないだろうか。

(※注:映画のなかでダイアナは、16世紀に存在し、愛の冷めた夫ヘンリー8世により殺された、ダイアナと遠縁関係にある、アン・ブーリンに関する本を手に取る)

『スペンサー ダイアナの決意』

TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
配給:STAR CHANNEL MOVIES
https://spencer-movie.com/

2022.11.12(土)
文=佐藤久理子