多くの貴人たちが流された資源豊かな遠流の島
隠岐諸島が遠流の地と定められたのは724年のこと。古代から中世にかけて後醍醐天皇や歌人の小野 篁(たかむら)はじめ多くの貴人や役人など身分の高い人々が流された。
ここが遠流の地に選ばれた理由はその距離だけではない。豊かな自然と歴史があり、貴人たちが飢えることのない十分な食料が確保できて安心して暮らせる島だったことがある。
1221年には承久の乱に敗れた後鳥羽上皇が島前の中ノ島に配流される。
文化・芸能に精通し、優れた歌人でもあった上皇は崩御するまでの19年間に約800首の和歌を残し、刀剣や絵画など様々な“みやこ”の文化が島に伝承された。
和歌集『遠島御百首』はかるたになり、島で開催されるかるた大会で使用されている。また、「隠岐牛突き」と呼ばれる闘牛は上皇を楽しませるために始まったと伝えられる。
「島外から来た人や文化を快く迎え受け入れ、そこから学んだことを自分たちの血肉として島の発展に繫げていく。それが隠岐のアイデンティティだと思います。後鳥羽上皇は私たちIターン者の大先輩です」(石原紗和子さん/隠岐ユネスコ世界ジオパーク推進協議会スタッフ)。
隠岐では今も多くの移住者が様々な職業に就き、島に活気をもたらし、島の未来を描いている。
中ノ島(海士町 [あまちょう] )には、約280万年前の火山活動で噴出した玄武岩溶岩によってできた平野と豊富な湧き水もあり、島前では唯一、水稲栽培が盛ん。
「本氣米」というブランド米も誕生し、米の自給率は100%を超える。また、上昇した日本海固有水と暖流がぶつかる沖合は豊かな漁場で、近海ではサザエやアワビも獲れること、農業も盛んなことから半農半漁の文化が根付いている。
旬の魚、岩牡蠣「春香」、白イカ、隠岐牛、崎みかんなど、離島の豊かな自然の恵みを味わうのも旅の楽しみだ。
島前の内海は多種多様な海藻が生息していることでも知られる。
西ノ島の別府湾付近で南方系の海藻・クロキヅタが発見され、クロキヅタそのものではなく、その棲息地である別府湾と中ノ島の菱浦湾が“国指定”天然記念物に指定されている。日本では唯一の例だ。
アカモク、ワカメ、ツルアラメなど、海藻は島の食卓に欠かせない。
そして、その西ノ島でぜひ訪れたいのが島の北西にある国賀海岸の摩天崖だ。
大陸からの北西の季節風とその風が引き起こす激しい波を受ける国賀海岸は、波の力で大地が削られて地形が移り変わっていく様子を一望のもとに眺められる侵食海岸。
また、海岸から遊歩道で繫がる断崖絶壁の摩天崖は、日本海の強風と荒波で削られ大地の内部が剝き出しになっている。
この摩天崖が天然の防風壁となっているからこそ、島前の内海は穏やかな状態を保てるのだそうだ。
大地の物語を雄弁に語る隠岐の自然のなかに身を置くと、地球の時間軸で流れる時を実感することができる。
中ノ島(なかのしま)
面積:33.44平米、人口:約2,400人、周囲:約89キロ、アクセス:境港、七類港からフェリーで約4時間、島後・西郷港からフェリーで約1時間。
島の北側の約半分は平地で主に水稲栽培が行われ、最南端の崎地区では特産の崎みかんが栽培されている。自生するクロモジで作るふくぎ茶(ふくぎ=クロモジ)も特産品として人気が高い。
西ノ島(にしのしま)
面積:55.96平米、人口:約3,300人、周囲:約117キロ
島前カルデラの中央火口丘がある島前最大の島。外海側は大陸からの風と波が強いため、集落は内海側に集中している。日本で最初に岩牡蠣養殖の商業化に成功した。絶景を堪能できる摩天崖と国賀海岸を繫ぐ約2.3キロ、高低差約250メートルの摩天崖遊歩道はおすすめ。
隠岐の島旅
文=斎藤素子(隠岐諸島)、CREA編集部(十勝)
撮影=橋本 篤