右:グラッキ通り校のキッチンスタジオ。アマチュア向けコースのレッスンはここで行われる
バチカン市国からほど近い住宅エリアに門を構える料理学校「ア・タヴォロ・コン・ロ・シェフ」。システマティックにプロの料理人を育てることを目的とした料理学校は、同校が創立された22年前のローマでは比較的珍しい存在だった。趣味で料理コースに通う一般の人々はそう多くなかったし、プロを目指すならレストランの厨房で修業を積みながら実技を習得するか、有名どころのホテル学校に入学する、というのが一般的な方法だったからだ。
その後、徐々に訪れた料理ブーム。流れをつくったのは30代から50代の男性たちだった。つくるのは女性に任せ、もっぱら食べる側だったイタリアの男たちが、ストレス解消、外食を控え節約するため、自宅で友人をもてなしたい、女性にウケがよい、などを理由に、趣味として料理を習うようになったのだ。「マンモーネ」と呼ばれるマザコン男たちが溢れるイタリアにおいて、さらにマンモーネの産地といわれるローマやナポリにいたっては、一部のインテリを除いたら、男性がキッチンに立つなどという光景は稀だったのだが。
text&photographs:Yukie Muramoto