山形県の南端・西吾妻山に源を発し、庄内平野を潤して日本海へと注ぐ最上川。その上流に位置する長井のまちは江戸の昔から最上川舟運の河岸として大いに賑わった。水とともに生き、水とともに栄えたまちの歴史を訪ねる。
昔、最上川のはじまりはここ長井の地だった
五月雨をあつめて早し最上川──俳聖・松尾芭蕉の有名な句だ。芭蕉は元禄2(1689)年、最上川中流の大石田(現・山形県北村山郡)を訪ね、土地の文人たちとの交友を楽しんだ。その多くは最上川舟運で財を成した豪商たちだった。
大石田からは米や豆、紅花や青荢といった特産品が川を下り、北前船に積み替えられて上方へと向かった。そして上方からは、木綿、古着、塩、茶などの生活必需品が川を遡ってもたらされた。
最上川は、古代から人や物を運ぶ交通手段として利用されてきた。しかし、長さ200キロを超える最上川を上流、中流から河口まで舟が行き交うようになったのは、近世になってからのことだ。元禄年間には黒滝の難所が開削され、さらに上流の宮、小出に舟着場が造られた。「山の港町」長井の物語はそこからはじまる。
山形新幹線・赤湯駅で、山形鉄道フラワー長井線に乗り換える。オレンジ、ピンク、グリーンのラインが可愛い2両の列車が、山あいの平野を走っていく。山形県の内陸部、置賜地方。四方を山に囲まれ、車窓からも、雪が残る吾妻連峰や飯豊連峰の山並みが見える。
列車に揺られて30分。満開の桜の風景を見ながら鉄橋を渡ると、長井の駅はもうすぐそこだ。「長井」という地名は“水が集まるところ”という意味だそうだ。吾妻連峰を源流とする松川と飯豊連峰を源流とする置賜白川が長井の地で合流しぶつかり合う。昔はここからが最上川と呼ばれていた。その合流地点には「最上川発祥の地」という石碑が立っている。
長井駅に降り、駅前から真っすぐに延びる道を進むと、満開の桜が並ぶ堤防が見えてくる。最上川堤防だ。堤防の上からは、河川敷の向こうに最上川の流れが一望できる。雪解けの水を集めて水嵩は増し、流れも早い。元禄時代、この川岸には米沢藩直轄の「宮舟場」と、長井の商人たちが自ら造った「小出舟場」があった。舟着場には一本柱の帆掛け舟「小鵜飼舟」が幾艘もつながれ、船方衆と河岸商人たちが積荷の揚げ降ろしを見守っている。上方に送る米をはじめ、特産の青荢(その繊維から紡いだ糸は小千谷縮や奈良晒となった)や豆、真綿、生糸を積んだ荷車が往来を行き来する。最上川はまさに物流の大動脈だったのだ。
Photo=Keiji Ishikawa、Yuki Funayama、Nagai City