サッカー少年の挫折と、ピアニストへの道

反田恭平(そりた きょうへい)
1994年札幌市生まれ、東京都出身。2012年、第81回日本音楽コンクールで第1位を獲得し、その後の全国ツアーで好評を博す。13年、桐朋学園大学音楽学部に入学するも、同年9月よりロシアに留学。14年、国立モスクワ音楽院に首席入学。ロシアを拠点に、意欲的な音楽活動を続けている。

 ダントツの首位でモスクワ音楽院に入学した反田が幼少期に受けたピアノ教育は、実はとても自由なものだった。

「好きな曲を選んで弾いていい、という先生だったので『次は何を弾こうかな』と毎日曲を探していました。そこで初見力(楽譜を初めて見て弾く能力)が鍛えられたと思います。でも、小学生の頃はサッカーに夢中で、実際そっちの方が自分にとっては重要でした。でも、試合中に手首を骨折して『こんなに痛い思いをするのは嫌だ』と、ピアノに集中することにしたんです。サッカーをやめたばかりの頃は太っていたので、クラスメイトからは『ちょっと太めのピアノマン』というニックネームをつけられて(笑)。当時からムードメーカーだったかも知れません」

 子供の才能を伸ばすピアノ教師には恵まれたが、父親がピアニストの道を選ぶことに猛反対し、進路の選択には大きな葛藤があったという。

「コンクールで1位をとらなければ音大への進学は許さないと言われ、自分で必死に限られた期間内に受けられるコンクールを探して、なんとか1位をとったんです(第81回日本音楽コンクールで、高校生の優勝は11年ぶり)。今でも全面的に賛成してくれているわけではないんですが……僕が載った音楽雑誌の記事は結構見てくれているみたいです」

「僕の人生は不思議な偶然が重なっているんです」。試験の前に大怪我をして奇跡的に回復したことも。

2015.08.10(月)
文=小田島久恵