それに加えて、この時点では坂井の年齢を含め、アーティストについての情報もほとんど伏せられた。おかげで、「ZARDというバンドは存在せず、歌っているのも写真とは別人」などという噂まで流れたほどである。

 しかし、ZARD――坂井泉水というアーティストはたしかに存在した。そのことは、彼女がいかに楽曲制作に心血を注いでいるかがあきらかになるにつれ証明されていった。「揺れる想い」についても、のちに彼女自身が《何度も何度も練り直して完成した曲。苦労してレコーディングした分、自分でも思い出深い一曲です》と、ベストアルバム『Golden Best 〜15th Anniversary〜』(2006年)付属のブックレットでコメントしている。

 同曲は、レコーディングで7回テイクを重ねてようやくOKとなったという。テイクごとに坂井は歌詞やメロディなどを変えて歌い、満足が行くまで試行錯誤を繰り返した。歌詞でも「揺れる想い体じゅう感じて」と、「体中」ではなくひらがなでの表記にこだわった。ZARDを担当した音楽ディレクターの寺尾広によれば、彼女はそうすることで体の中も外も感じているということを伝えたかったという(NHK BSプレミアム『ZARDよ永遠なれ 坂井泉水の歌はこう生まれた』2019年4月20日放送)。

歌手になる前の意外なキャリア

 ZARD誕生の発端は、そのデビューの1年前、1990年に行われたB.B.クイーンズ(この年、「おどるポンポコリン」が大ヒットした)のコーラスメンバーを選ぶオーディションであった。坂井泉水は当時23歳で、すでに本名の蒲池幸子名義でレースクイーンやグラビアモデルなどの活動をしていた。だが、歌手になりたいという子供のころからの夢を捨てきれず、オーディションに参加したのだった。

 オーディションを主催した音楽制作会社ビーイングの創業者で、プロデューサーの長戸大幸は、坂井の歌声が気に入った。コーラスメンバー入りは、諸事情から実現しなかったものの、すぐにチャンスがめぐってくる。長戸が、フジテレビのプロデューサーだった亀山千広(のち社長)から今度始まるドラマのテーマ曲を歌うシンガーを探していると相談を受け、坂井のことを思い出したのだ。

2023.05.31(水)
文=近藤 正高