日本のお酒文学コラム『BOOKSのんべえ』の連載は、のんべえ春秋を目にとめてもらったのをきっかけとして、2018年にはじまった。連載2年目に大病を患い、治療中に2週間ばかりお酒を全く飲まずに過ごすことになって、それを機に、日常的にお酒と親しみすぎていたのは否めないと振り返った。この連載を続けていくかどうか逡巡した時期も実をいえばある。ここはむしろ、以前は全く受け入れられずにいた、禁酒をすすめる作品にふれるチャンスではあると思い立ち、めくってみた。けれど、酒瓶をみんな手放して、そちら側で旗を振る人についていこうという気にもなれなかった。

 お酒の話はなにかにつけて極端にふれがちではある。泥酔か素面か。ザルか下戸か。「ちょうどいい塩梅」をえがいた作品、というのは稀有である。やはり、そこに達して、ずっととどまるのはむずかしい。そう、のんべえ春秋を立ち上げたときに、すでに自分でもわかっていたことのはずだった。

 ねえ、お酒って好き? そう聞かれたら、好きだけど一緒には暮らせない、と答えたい。前は半同棲していたけれどいろいろあって別居した、という感もある。そうはいってもちょくちょく会っている。でも一緒に起きて、一緒に眠るまではしたくない。好きだけど。でも、お酒と同衾しているような時期よりもむしろ、お酒について考え、読み、調べるのにこれまでになく夢中になれて、自分でもそれは意外なことだった。

 日本におけるお酒文化のおよそ100年を辿ってみると、それはパッケージの歴史でもあるとわかる。お酒は液体だから、なにかしら器に入れないと持ち運べない。その器の変遷が、飲みかたを左右している。武田百合子と泰淳のエッセイにはその変わり目が活写されている。手に握りしめた缶は、自己完結的飲酒へと人を導き、行き着いた先、最新のダークサイドが描かれているのが金原ひとみ『ストロングゼロ』である。コンビニエンスストアのストロング系の並ぶ棚、そこから横に目を移していくと、ノンアルドリンクも並んでいる。お酒の要素を再現しながらも酔わないように設計されたこの不思議な飲みものはこのところ立て続けに新商品が発売されている。これも、お酒と別居してからは、新商品を見つける度に試しに飲んでみているのだけれど、ただのおいしいジュースとしかいえない場合も少なくない。とはいえ、アルコールのないところにもお酒の味わいを求めるなんて、完全にのんべえの発想だろう。

2023.04.18(火)
文=木村 衣有子