「外国語で書けないものは 日本語でも書かないと決めました」

横道 とても楽しみにしている斎藤さんの連載エッセイ「編み狂う」を読んでいると、まるで自分の話のような感覚になります。あの“夢中感”というか、なにかに強く打ち込むんだけれども興味の対象が変わっていく感じが似ています(笑)。ASDがあると凝り性になって、ADHDがあると飽き性の傾向になるんですよね。

斎藤 まさに、私も凝り性で、飽き性ですね。過集中が癖になっていて、かつその対象がしょっちゅう変わるから、趣味が長続きしないんです。横道さんのような衝動性はなく、凝るにしても根気が足りないので、人に「あれが好きだったでしょ」と言われて憶えていないこともよくあります。人生全般、よけいなものにすごくお金を使ってしまう。

横道 たとえば?

斎藤 編み物ばっかりやっていたとき、押し入れいっぱいに毛糸を買い込んだんです。でもそんなに編めるわけないじゃないですか。だからヤフオクで売ったりするんですが、衝動買いはするけれど買い物依存症というほどでもなく、じつに中途半端だなぁと思います(笑)。

 私が横道さんの凝り性でびっくりしたのは、ドイツ語やフランス語で説明できないことは、日本語でも書かないと決めていること。すごくかっこいい覚悟だと思いました。

横道 30代まで、日本語がよくわからなかったんですね。自分の日本語に自分で中毒になっていく感じで、文体がぐちゃぐちゃだった。

 詩人のゲーテは、「外国語を知らない人は母語も知らない」という名言を残していますが、さまざまな外国語の勉強を通して日本語の理解が深まってくるという感じが確かにあった。そこで外国語で書けないものは日本語でも書かないと決めたら、自分の日本語が一気にスリム化されたんです。そこから自分なりに日本語の新しい世界を開いていけるのではないかと感じました。

斎藤 すごく面白いですね。日本語で「ええカッコしい」なのがじつは一番かっこ悪いという……。日本語でしか書けないことばかり追求していくのは、ものを書くうえで究極の内弁慶なんでしょうね。何語で言っても嘘がないことが本物だと思う。

 一方で、私も、韓国語で話すときは、日本語のような細かなニュアンスが言えないから、そこは放棄しているんですが、無自覚に話しているとどんどん「正しいことをきっぱり言い切る」思考になっているんですね。思考が言語に乗っ取られている。その差分を自分から先取りして、中身に含めていくことには自覚的でありたいと思っています。

横道 文芸作品を多く翻訳されてきた斎藤さんならではの指摘だと思います。私のようにプライベートで自身の著作のなかでいろいろと翻訳していると、どの作家を訳しても全部透明感が増す方向になります。訳出としては邪道かもしれませんが、そうすることで、翻訳が私を浄化してくれるのです。商業出版のための翻訳でなく、自分の薬にするための翻訳だから、これはこれで良いかと思っています。

斎藤 私は翻訳でなんにも治癒されていないなぁ。韓国語と日本語は近くて、ジャンプが少ないからかもしれないですが(笑)。

 もう一つこの本の魅力で触れておきたいのは、当事者研究としての側面です。わざわざ言語化するなんて思いもよらないようなディテールが描かれていて、読み手が楽しめるようにつくられています。

 じつは私は何年か前に介護うつみたいな感じになって、ちょっとメンタルを壊した時期がありました。とても苦しい時期でしたが、当事者研究という言葉を思い出したので、自分自身の経験していることを見て、記録にとって、考えていくというアプローチがとても助けになりました。自分を研究対象として見つめて、必要があれば他者と共有していいんだという考え方に、すごく大きな扉が開かれた気がしました。

横道 私自身、うつになって自殺願望が強くなった時期もありましたが、そのピークだった40歳で発達障害の診断を受けて、当事者研究を初めて知り、本当に救われました。自分には何物にも代えがたい生があったことに目を見開かされて、すごく元気になりました。

 本書も、20~30代のころの海外体験を発達障害の視点から見つめ直したものです。そうすると過去の失敗や苦い経験が、新たな価値を帯びて、立ち上がってきました。

 誰しもが人生の当事者であって、何かの問題を抱えて切実に生きています。「脳の多様性」ということを考えると、どの人にも、経験したことに固有の価値があって、誰一人として同じ人間はいない。当事者はみんな、自分なりのライフハックやサバイバル術をもっているからこそ、すごく面白いんです。

斎藤 わかります。当事者研究本って、妄想とか、自分の特性への名付け方とか、付き合い方にクリエイティビティがあって、そこいらの小説を読むよりずっと面白い(笑)。きっと人生の新しい色を発見するような読書体験になるからだと思う。

横道 私は発達障害の自助グループをいくつか主宰しているんですが、私も含めてみなさん苦労はしているけど。外から見ると、私たちの印象はモノトーンの人生を送っている人たちということになるかもしれませんが、私は診断を受けて発達障害者になったことで、人生がカラフルになりました。いろんなことが凄まじい解像度で理解できるようになった。

 最近は認知科学が進んできて、多くの定型発達者でも、疲れたり不調だったりすると、衝動性が増したり、うつっぽくなったりして、発達障害的な要素のグラデーションのなかを生きていることがわかってきました。発達障害者はある部分の特性が強烈に出ているだけで、相対的な違いにすぎない。多くの人にそんな観点からも本書を楽しんでいただけたらと思っています。今日は刺激的なお話をありがとうございました。

斎藤 ありがとうございました。

(5月11日、代官山蔦屋書店にて対談)

『イスタンブールで青に溺れる 発達障害者の世界周航記』


定価 1,870円(税込)
横道 誠
文藝春秋
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)

横道 誠 (よこみち・まこと)

1979年大阪市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科研究指導認定退学。文学博士(京都大学)。現在、京都府立大学文学部准教授。専門は文学・当事者研究。本来はドイツ文学者だが、40歳で自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症を診断されて以来、発達障害の当事者仲間との交流や自助グループの運営にも力を入れ、その諸経験を当事者批評という新しい学術的・創作的ジャンルに活用しようと模索している。著書に『みんな水の中——「発達障害」自助グループの文学研究者はどんな世界に棲んでいるか』(医学書院)、『唯が行く!――当事者研究とオープンダイアローグ奮闘記』(金剛出版)がある。

斎藤 真理子 (さいとう・まりこ)

翻訳家。訳書に、パク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフンとの共訳、クレイン)、チョン・セラン『フィフティ・ピープル』『保健室のアン・ウニョン先生』(亜紀書房)、ハン・ガン『回復する人間』(白水社)『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)、チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』(河出書房新社)、ファン・ジョンウン『年年歳歳』(河出書房新社)など。チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)の翻訳は日本でもベストセラーになる。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞を受賞。

2022.06.26(日)
構成=編集部
写真=末永裕樹