幾多の困難を超えて美術品を守り、財を投じた先人たちの篤い想いは各地の美術館に作品とともに引き継がれ、今日も新しい物語を紡ぎ続けている。
創設者の想いを引き継ぐ、今見るべき美術館を7館紹介。
◆大原美術館|Ohara Museum of Art
大原美術館創設を成した大原孫三郎・児島虎次郎は、日本の美術界の真の発展を願い、根津嘉一郎は、美術品を「衆と共に楽しむ」ことを是とし根津美術館を創設した――。
西欧で印象派などの近代絵画が花開いていた時代、遠く離れた日本の画家たちにその本物の作品を見せてやりたいと願い、収集と公開に力を尽くした大原と児島。
彼らの思いが実を結んだ大原美術館には、語りきれないほどの物語が溢れている。
実物の名作を、日本に。そう願った男たち
日本を代表する美術館を思い起こす時、大原美術館の名を挙げる者は少なくないだろう。
倉敷美観地区のシンボルともいえるこの美術館は、芸術に情熱を注いだ画家、児島虎次郎と、倉敷紡績をはじめ電力、金融、新聞など多角的な事業を行った倉敷屈指の実業家、大原孫三郎との友情から生まれた。
岡山出身の児島は、東京美術学校在学時の1902年から大原家の支援を受け、数度の渡欧を果たしている。
その際、本場で油彩画を学ぶと共に、日本の画家たちに西欧の芸術を見せてやりたいと、支援者でもあり、同世代の親友でもある孫三郎に対して、現地での絵画収集を懇願したという。
「とはいえ、孫三郎にとっては、世のため人のためになる事業にお金を使うことが重要であって、児島の提案はピンと来なかったのではないかと思います。
収集活動を承諾したのは、児島があんまり熱心に言うものだから根負けして、というところではないでしょうか」(学芸員・吉川あゆみさん)
ところが、1921年、児島が日本に持ち帰ったモネ、マティスなどの作品を公開した展覧会は、驚くほどの大きな反響を呼ぶ。
それを目の当たりにした孫三郎は、収集活動の重要性を改めて確信し、さらなる作品購入を児島に託した。こうして児島は、西洋の近代絵画を精力的に収集。
さらに古代エジプトの文物やイスラム陶器、朝鮮陶磁など、多岐にわたるコレクションを形成していく。これが後の大原美術館の礎となったことはいうまでもない。
しかし、美術館設立が実現に向かうのは、皮肉なことに、児島虎次郎の死を契機としてのことだった。
「児島が病を得て急逝したのは1929年3月、美術館の開館は翌年11月です。世界恐慌のただなかで孫三郎が美術館建設を実現したことを考えると、彼の児島に対する思いの強さが分かります。
孫三郎にとって美術館開館の指針は、児島の願いを実現することだったのです」(吉川さん)
Text=Yuko Harigae(Giraffe)
Photographs=Asami Enomoto
Cooperation=0hara Museum of Art