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「正解はひとつ」と考える東アジアの文化

野本 東アジアの特徴らしいのですが、どうしても「正解はひとつ」なんですよね。マレーシアと日本のいちばん違うところは、社会の中にはいろいろな世界がたくさんあるということ。マレーシアには、イスラムの人とインド系の人、中華系の華人と呼ばれる人がいて、それぞれまた中で割れている。イスラムの人も一枚岩じゃなくて、モダンイスラムと呼ばれる人から、コーランの教えを絶対に守りますという人もいる。インド系もシク教、仏教、イスラム教、ヒンドゥー教の人もいる。多様性があるから「正解」がいっぱいあるんです。

伊藤 「正解はひとつ」ではないんですね。

野本 学校も同じで、まず偏差値がない。日本人の方に、「マレーシアではどこの学校がいいですか?」と訊かれてもすごく答えにくいです。

伊藤 他の国の教育はどんどん変わっているのに、日本だけ何十年も変わっていない。日本では変わること、変えることがなかなかできないと感じます。

野本 「正解がひとつ」という思考によって、「ちゃんとしなくては」と生きづらくなってしまうと思うんです。だから日本では子どもを持った途端に、ちょっと迷惑な存在にされてしまう。マレーシアに来る子連れの方からよく聞くのは、「日本では『ごめんなさい、ごめんなさい』って謝る生活だったけど、マレーシアにきたら『いいよ、いいよ』ってすごく大事にされます」と言われます。

伊藤 わかります。子連れで電車に乗ると、常に周りから舌打ちが聞こえてくるような感じがしてしまうんです(笑)。子連れですみません、って。

野本 そこは私も反省するところです。自分自身に子どもがいなかったときはそう思っていたんですよね。券売機に並んでいて、前の人が子連れでもたもたしていたりすると「こっちは忙しいのにな」みたいなことを思っていたんですよ。

伊藤 ベビーカー担いで階段を上っている人を見ると、今はすぐに助けることができるんですが、子どもがいないときはそういう人たちが視界に入っていなかったなと思います。

野本 そうなんです。あまり視界に入ってこない。それは社会全体がエクスクルーシブ(能力によって人を分ける)だからです。

伊藤 本の中でも、エクスクルーシブ教育がなぜ問題なのか書いていただきました。「偏差値で人を分けるような教育は、人の心を病気にする」と。

野本 マレーシアのインターナショナルスクールでは、ダウン症や発達障害の子も一緒に学ぶところが多いんです。

伊藤> インクルーシブな教育によっても、マレーシアは寛容な社会になっているわけですね。

野本 「勝ち組・負け組」の言葉が流行る日本社会は、偏差値教育によって作られていると感じます。

2023.05.23(火)
文=文藝春秋