自分の認識がひっくり返った瞬間でした。このことに深く気づいてからは、自分が提供したいサービスをさまざまな形で仕事に反映させることを意識するようになりました。サービスに合う人ではなく、「その人に合うサービス」であり、それがいわゆる「多様性」と呼ばれるものであると感じています。

 多様性とは、特定のグループの人々を大切にするだけではなく、多くのサービスが常に多様な価値を持っていることです。

 振り返ってみると、ドイツでの経験が、「異なる状況にある人々すべてを包み込む」ことに目を開かせてくれたのであり、それが後に「多様性」を学ぶことに繋がったのです。

人の価値は財産ではなく、他人と分かちあったものの量

 小学校6年生の時にドイツから帰国してすぐに、母が立ち上げた「シードアカデミー」(種籽[種をまくの意]学苑)という自主学習塾の手伝いを始めました。

 学校を始めるにあたっては、烏来の丘陵にある信賢小学校の校舎を借りました。この学校がある場所は、原住民族タイヤル族の地域だったので、そもそもタイヤル族の子供が多い学校でした。

 小学校の担任であった林義賢先生は、自分自身も集落の長でしたから、学校で自然の中でのサバイバルの仕方やタイヤル語を教えるのは、とても自然なことでした。

「郷に入っては郷に従え」で、林先生がタイヤル族について話すのをよく聞き、その価値観や世界観についても学びました。

 まず印象的だったのは、彼らが文字に執着していない点です。ある知識が伝えられていく際に彼らが気にするのは、それが最も適切な方法で伝えられているかどうかです。彼らは五感を組み合わせて完璧に伝えたいと考えていて、目で見る文字だけに頼ることはしないのです。

 これは、私にとってまったく新しい考えでした。私は漢字文化圏の中で育ちましたので、この文化圏では、教育システム全体が文字での表現に固執しています。まるで、最後に文字にならないものは存在せず、力を費やして学ぶ価値がないかのようです。しかし、タイヤル族の場合はそうではありません。口から耳を通して伝えられていく経験も同様に貴重なものであり、実践的な知恵として伝えられることも多いのです。

2022.07.27(水)
文=オードリー・タン