何事につけても、〈はじめて〉というのは大事なものである。四十五年前、母の子宮から私はこの世界に誕生した。

 生まれた直後なので当たり前だが、まわりにあるもの、それらはすべて私にとって〈はじめて〉なものばかりだった(もちろん記憶にはないが)。

 〈はじめて〉のものとは、未知なもの、異質なもの、すなわち怖いものだ。しかし時間の経過とともにそれら異質なものは〈はじめて〉ではないものになり、怖くないものとなって馴染んでいく。

 生まれてはじめての海外旅行はミャンマーだった。大学探検部にはいってはじめての夏休み、先輩二人と一緒に、とある情報をたよりに、日本兵の生きのこりがいると伝えられる山村をさがしにいった。

 その情報は完全にデマだったが、旅行自体はとても楽しいものだった。なにしろ誕生直後とおなじ、すべてがはじめての経験だったのだから。

 人々がよかった。役人をのぞき、出会ったすべてのミャンマー人が親切だった。でこぼこの悪路を行く乗りあいバスで一緒だった同世代の若者は、ただ外国人と乗りあわせたというだけでわれわれを自宅に招き、一晩泊めてくれた。

 泥だらけの山道をサンダルで歩いていたらと、若い女性から手招きされ、どきどきしながらついてゆくと、家の裏の縁側に私を座らせ、足についた泥を盥の水できれいに洗い流してくれた。

 列車のボックス席に座ったおじさんはナッツを、おばさんはフルーツを分けてくれた。見ず知らずの数人の若者たちと夜中に肩を組み、歌をうたいながら歩いた。

 ミャンマーの人々は記憶のなかで完璧に美化されている。こんなに人々の性格がフレンドリーな国は他にない、絶対また、この国に来ようと思った。

 旅の根本的な意味とは結局のところ、異質なものが、じつは異質ではないと気づくことにある。

 異なる文化、異なる言語をもつ、異なる顔立ちの人と寝食をともにすることで、彼・彼女が、じつは自分と何もかわらない一人の人間であることを知る。

 頭ではなく感覚で、情報ではなく身体的な触れあいをつうじて世の中をながめるようになり、もし自分が同じ立場であればとの想像力が育まれ、あらゆる他者と地つづきになる。そこからしか優しさは生まれないと思う。

 だが一方で、誕生から四十五年ほど生きてみると、そういう〈はじめて〉がもう、ほとんどなくなってしまったことにも気づく。

 未知の場所に行き、未知の人々にあっても、これまでの経験が邪魔するるのか、あのときのミャンマーのような新鮮さや感動は生まれない。

 経験により肥大化しすぎた内側が、外側を凌駕し、なんとなく先行きが読めてしまう。冒険でも同じだ。もっとも驚きに満ちた山。

 それはやはり大学探検部ではじめて連れて行ってもらった厳冬期北海道の長期山行だ。北極を何千キロ旅したところで、あの楽しさにはかなわない。

 もう、〈はじめて〉の場所に行きたいとあまり思わなくなってしまった。自分の人生の旅の季節はもう終わったのだとつくづく感じる。今やすべてと地つづきになってしまったのだ。

 それよりも深さに、手応えのほうに舵を切りたい自分がいる。というか、もうそれをはじめている。

 三十年近くたったが、あれから私はミャンマーを一度もおとずれていない。

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。2016年12月から太陽の昇らない暗闇の北極圏を80日にわたり一人で探検。その体験を綴った『極夜行』(文藝春秋)で’18年、YAHOO!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞と大佛次郎賞を受賞。著書に『極夜行前』(文藝春秋)、『そこにある山‒結婚と冒険について』(中央公論新社)など。10月下旬に新刊『狩りの思考法』(アサヒ・エコ・ブックス)を上梓。

Column

角幡唯介の「あの時、あの場所で。」

角幡唯介さんは、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している気鋭のノンフィクション作家。これまでに訪れた世界の津々浦々で出会った印象的な人々との思い出を、エッセイとして綴ります。

文=角幡唯介
絵=下田昌克

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