はじめての北極の旅は2011年春のことだ。あれから10年になる。月日がたつのは早いものだ、なんてジジ臭いことを考えるなんて、10年前には想像さえできなかったのに……。

 ともかく10年前に私は北極にむかった。場所はカナダ北極圏のレゾリュートベイという集落だ。

 橇をひいて延々と海氷を南下する。ひどい乱氷帯がつづいた。氷盤がぶつかりあって氷脈が隆起し、大型クレーンでなければ動かせなそうな巨大な氷塊がごろごろとしている。

 神の存在を思わせる圧倒的な自然力。カナダ北部を南北につらぬく巨大な海峡をぬけると、やがてキングウイリアム島という島に出た。

 キングウイリアム島は、島とよぶのが憚られるような、のっぺりとした、何もない、平らな島だった。あまりにも平らすぎて、どこからはじまるのかすら、よくわからない。

 岸沿いの海氷を歩いていると気づかぬうちに足元が砂利の地面に変わっており、海かと思っていたら島だった、みたいな、そういう島である。

 島かどうかさえ疑わしい、この島のうえに立ち、氷と雲で境界の消失した地平線をながめながら、私は、彼らはこんなところに迷いこんだのか、と物思いに沈んだ。

 このときの旅にはじつは明確なテーマがあった。それは19世紀半ばにこの地をおとずれた英国フランクリン探検隊の足跡を追うというものだ。

 彼らは幻の航路とよばれた北西航路を探すため、まだ地図の空白部だったこの地域に船で入りこんだ。

 しかし地図がなかったために、彼らは正しいルートがわからず、結果、それとは反対側の海路を選択し、流れこんでくる多年氷に取りかこまれ身動き不能となる。

 最終的には129人全員が死亡するが、それまでに何があったのか詳しいことはわからないままだ(近年になりカナダ政府により彼らの船二隻が海底で発見された)。

 あまりに茫漠としたキングウイリアム島の風景。それを前にしておしよせたのは、一体、今自分が見ている風景と、フランクリン隊が見ていた風景は同じものなのか? という思いだった。

 そこは文明や人間世界から隔絶した北極の海だ。ただ雪と氷があるだけ、170年以上の月日が流れても、物理的、客観的環境はさほど変わらないだろう。

 しかし、それをながめる人間の内面に食いこんでくる風景としては、全然ちがうのではないか。

 私には地図がある。地図があるから明日以降のことを具体的に考えられるし、未来像をもつことで、今の私は、将来どうなるのかという不安を感じずにすむ。

 でも彼らには地図がなかった。この先どこにいけばいいのか、何をしたらよいのか、明日以降生きているのか、それすらわからなかったはずだ。

 地図がないことによる未来消失。実際、彼らは正しい行先を見つけられずに悲惨な最期をとげたのだ。

 このとき以来、“地図のない風景”が、私の大きな探求のテーマになっている。地図の空白部を目指すわけではない。

 地図のある/なしで風景の意味は、人と土地の結びつきは、一体どのように変わるのか、それを知りたいのである。

 そしてこのテーマは年々重要性を増し、いよいよ膨れあがり、今年から地図を見ないで北極を旅する、なんてことまでやりはじめている。

 あれから10年がたった。風景がもつ潜在的な力は、時間の経過とともに蓄積するものであるらしい。

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。2016年12月から太陽の昇らない暗闇の北極圏を80日にわたり一人で探検。その体験を綴った『極夜行』(文藝春秋)で'18年、YAHOO!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞と大佛次郎賞を受賞。近著に『極夜行前』(文藝春秋)、『そこにある山‒結婚と冒険について』(中央公論新社)がある。

Column

角幡唯介の「あの時、あの場所で。」

角幡唯介さんは、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している気鋭のノンフィクション作家。これまでに訪れた世界の津々浦々で出会った印象的な人々との思い出を、エッセイとして綴ります。

文=角幡唯介
絵=下田昌克

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