古今東西の神話や伝説、昔話には、それが生みだされた根拠が現実世界にあるはずで、必ずしもすべてが人間の旺盛な想像力の賜物、というわけではなさそうである。
有名どころでは、それまで神話とみなされていたホメロスの叙事詩が、シュリーマンの発掘により史実に基づいたものと判明した、という話を私は聞いたことがあるし、また鼠退治の後に子供たちを連れ去った、あの不気味なハーメルンの笛吹き男の民話も実際の事件を下敷きにしているとの由である。
で、そのうえで今回、私が問うてみたいのが、妖怪海坊主というのはいったい如何なる現実をもとにこしらえられたのか、という問題である。
海坊主のどこが問題なのか、それよりも桜を見る会のほうが問題ですよ、と多くの人が思うかもしれない。さもありなん。
しかしそれでも私はあえてこの場をかりて海坊主問題について議論したいと思うのだ。何故か。
じつは私自身、海坊主を見たことがあるからである。
どこで? グリーンランドの氷海で。
そのとき私は、日本から助っ人で来てくれた知人のYと一緒にカヤックを漕ぎ、浮き氷と氷山にかこまれた凍てつく海を北に向かっていた。
白夜の眩しすぎる太陽は、その日は曇り空のため姿を消していたが、風ひとつないべた凪の日ではあった。鏡面のように風景を反射する水面で、パドルがたぷんたぷんと心地よい音をたてている。
と、その刹那だった。何の予兆もなく薄気味の悪い化け物が海中から魚雷のように飛びだしてきたかと思うと、Yのカヤックの後部にどてっと乗りあげ、その眠たそうな目をした間抜け面をこちらに向けたのだ。
それは黄褐色をした土くれのような生き物で、神がつくりたもうた被造物のうちでも最大の失敗作に、そのときの私には見えた。
私たちはすくみあがった。何故ならその地域では、カヤックで鯨狩りをしている最中に海坊主に襲撃されて殺される猟師がしばしばおり、私たちが航海に出発する直前にも二人のカヤック猟師が海坊主に血祭りにあげられ死亡していたからである。
この地域で海坊主は巨大な牙で穴をあけ、強靭な肺活量で獲物の脂肪を吸引するともいわれる、実在の生き物なのである。
海坊主はYのカヤックに牙をつきたて、転覆をこころみようとしている。
そして次に狙いを私に変えたかと思うと、まるで龍のように巨体をうねらせながら、大きな追い波をおこして追いかけてきた。
最終的には火事場の馬鹿力によりなんとか危機を脱したが、四十数年生きてきたなかで、あれほどの恐怖におちいったことはない。
で、私が見た海坊主の正体は何かというと、それは海象である。
水族館のショーなどで見るとなかなか愛嬌のある動物であるが、私が北極の海で見た海象はまったく別の生き物であり、海の暗がりに引きずり込む冥界の使者として現象していたのだった。
地元イヌイット猟師同様、人類が狩猟民時代だったころはずいぶんと多くの人がこの生き物に海に引きずり込まれて落命したことだろう。
その記憶が集合的無意識に刻印され、海坊主神話となり世界中で語りつがれたのではないか、というのが私の見立てである。
角幡唯介(かくはた ゆうすけ)
ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。2009年冬、単独でのツアンポー峡谷探検をまとめた『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。2016年12月からは太陽の昇らない暗闇の北極圏を80日にわたり一人で探検。その体験を綴った『極夜行』(文藝春秋)で2018年、YAHOO!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞と大佛次郎賞を受賞。新刊に『極夜行前』(文藝春秋)がある。
Column
角幡唯介さんは、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している気鋭のノンフィクション作家。これまでに訪れた世界の津々浦々で出会った印象的な人々との思い出を、エッセイとして綴ります。
文=角幡唯介
絵=下田昌克