毎年、冬になると通っているグリーンランド最北の村シオラパルク。今では三十人ほどしか住んでいないこの北極の猟師村で、私が一番仲良くしているイヌイットがヌカッピアングア・ヘンドリクセンという舌を噛みそうな名前の男である。

 細く鋭い目つきに墨で書いたかのような黒い眉、口髭をたくわえているその相貌はなかなかの男前で、彼の息子のウーマなどは映画俳優にしてもおかしくないイケメンである。年の頃は五十代半ば。冗談ばかり言っては人を笑わせるのが好きで、昔、テレビの取材で村に来たタレントの熊谷真実さんの思い出を語るのが持ちネタだ。

「マミ・クマガイは元気か? あんないい女はいなかった。マミは他の日本人のところを抜け出して、よく俺の家で寝ていたんだ、うひひひ」

 熊谷さんの名誉のためにも、ヌカッピアングアのこの話が天地神明に誓って真実ではないことを、私はこの場を借りて証言したいと思う。

 冗談ばかりのいい加減な男だが、冒険家植村直己の『極北に賭ける』という本に、子供の頃の彼の話が紹介されている。一九七二年、植村がシオラパルクで狩猟技術や犬橇の操縦法を学んでいるとき、村の湾内に鯨が迷い込んできて村人総出での猟が始まった。そのとき九歳だったヌカッピアングアはカヤックを担ぎ上げて悠然と海に漕ぎだし、暴れまくる鯨の群れに銛を打ち込み見事に仕留めたというのだ。

 猟にもあまり出ず、家でぐうたらしていることの多い今の姿からは想像もつかない勇ましい姿である。とても考えられない少年時代だ。

 とはいえ気の優しい男であることは確かだ。彼からは色々なことを教わった。地図を開いて旅のルート上の危険箇所や氷の状況、獲物のいる場所などを事細かに指示してくれたし、夏には度々猟に連れて行ってくれた。海豹や海象の肉も頻繁に分けてくれる。一番の思い出は橇の作り方を教えてくれたことだ。私が木材を彼の家にもっていき、「先端のカーブの角度はこれぐらいでいいのだろうか?」と指示を仰いだその日から、彼はほぼ付きっ切りで橇作りに付き合ってくれた。鉋で削った跡を手で撫でて感触を確かめては、「ここがまだ少し出っ張っている」と何度も私にやり直しを命じるその真剣な眼差しには、鯨や海象と対峙するときに見せるのであろう眼光の鋭さが感じられた。

 何年か前に村を離れるとき、彼から強く抱きしめられ、「私のことをこの村の父親だと思いなさい」と言われた。彼とは十歳ちょっとしか離れていないため、父親という言い回しに少し違和感をおぼえたが、それもイヌイットの親愛表現なのだろうと理解し、「ありがとう」と抱擁を返した。

 そのとき彼から、娘への贈り物として海象の牙で作った小さな白熊の像をもらった。だが、この前、娘(現在四歳)に確認したところ「どこかになくしちゃったよ」とげらげら笑った。せっかくの思い出の品なのに……。まあ、いい。今年もシオラパルクに行くので、もう一つ作ってもらおう。

角幡唯介(かくはた ゆうすけ)

ノンフィクション作家、探検家。1976年、北海道芦別市生まれ。早稲田大学卒、同大探検部OB。2009年冬、単独でのツアンポー峡谷探検をまとめた『空白の五マイル』で開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞。16年12月からは太陽の昇らない暗闇の北極圏を80日にわたり一人で探検。その体験を綴った『極夜行』(文藝春秋)を18年2月に上梓した。近著にエッセイ集『探検家、40歳の事情』(文藝春秋)、ノンフィクション『漂流』(新潮社)がある。

Column

角幡唯介の「あの時、あの場所で。」

角幡唯介さんは、開高健ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞している気鋭のノンフィクション作家。これまでに訪れた世界の津々浦々で出会った印象的な人々との思い出を、エッセイとして綴ります。

文=角幡唯介
絵=下田昌克