同性愛が犯罪だった時代でも自由であり続けたトーベ

――1894年から1971年まで、フィンランドで同性愛は犯罪とされてきました。それなのに、本作ではトーベの自由な“性的指向”について周囲がほとんど偏見や差別意識を向ける描写がありません。これは、なぜなのでしょうか。

 トーベはヴィヴィカに出会ったときに圧倒されるように恋に落ちたわけで、外野の意見などどうでもよかったんだと思います。もちろん表面上はそう思われないように振る舞ってはいましたが。

 ただ、そんな環境下でも自由でいられたのは、トーベがいたアーティスト界隈が自由なセクシュアリティを当たり前のものとし、外部の差別から守ってくれていた部分も大きいと思います。

――本作でトーベが差別から守られていた部分をフォーカスしなかったのはなぜでしょう?

 それは、当時のトーベがすでにそうした葛藤から解放され、自由だったからです。

 ヴィヴィカに出会うまで彼女は、スナフキンのモデルとしても知られる男性・アトスと交際していたわけですが、彼と別れ、女性であるヴィヴィカと恋に落ちたときに、自分が何者なのか悩むことはなかったわけです。

 そんな彼女を描くにあたって、ジェンダーが恋愛関係の要因にならないようにするのが公平だと思いましたし、トーベのパーソナルな心情に寄っていくアプローチをしていたために、当時の偏見や差別から自由な空気で描くことができましたね。

――セクシュアリティについて自由に描かれた一方、「父親と抑圧」という要素に関しては大きく取り上げられた印象です。

 おもしろいことに、本作で描いた時期のトーベの絵画は、個人的に何かが足りないように感じました。私はそれが“父親との関係”なんじゃないかと思ったんです。

 トーベは実際、父親と非常に複雑な関係にあり、愛に溢れてはいましたが、同時に派手な喧嘩もする間柄でした。そんな父親が初めてムーミンを認めたときに彼女は自由になれて、絵画ももう一段階上のステップに到達したのでしょう。

 アーティストとしてのアイデンティティを模索することと、父親との関係性というのはどこか繋がっている気がしますし、トーベの半生と成長を描く上で欠かせない要素でした。

2021.09.29(水)
文=TND幽介(A4studio)