浅田真央からその話が飛び出したのは、高田馬場のシチズンスケートリンクが2021年1月末で閉鎖されることについて聞いている時だった。

「私、リンクを作ろうと思っているんです」

 彼女のライフワークであるアイスショー、「サンクスツアー」は来年4月に終わりを迎える。その後何をするかについてはこれまで明言を避けてきた。

 9月に30歳を迎えた時、「30歳のスタートは、サンクスツアーが終わってからかな」とケジメを大事にする彼女らしい発言をしていたが、その日が視野に入ってきて、いよいよ口にした次の目標――。

都内のリンクが全く足りていない

「真央リンクを作りたい、という想いはだいぶ前からありました。でも今回、シチズンスケートリンクがなくなることで、スケート人口に対して、都内のリンクが全く足りていない状況があることや、八ヶ岳スケートセンターが閉鎖することを聞いて、気持ちは一層固まったんです」

 1973年にオープンしたシチズンスケートリンクは、今年の全日本ノービス選手権に出場した選手8人を含む200名ほどのシチズンクラブの選手や、近隣の大学生スケーター約140名が毎日使用している。

 東京・神奈川の通年リンクがひとつ、またひとつと消えていくなかで、彼らが次の所属先や練習場を探すのは、簡単なことではない。

 また、1982年にできた山梨県立八ヶ岳スケートセンターは、利用者の減少や老朽化により、廃止が検討されている。小淵沢をよく訪れる真央は、知り合いを通じてこのリンクを存続させるための署名活動があることを知り、自分の名前も記名した。

 スケーターにとって、いかに環境が大事なことか、浅田真央は身をもって知っている。

2020.12.02(水)
文=藤森三奈