東京、東大泉の住宅街の片隅に、ひとりの植物学者の庭が公開されている。
「日本の植物を最もよく知る男」と呼ばれた牧野富太郎博士の自邸の庭は、植物をひたすら愛し、破天荒な学者人生を歩んだ博士が現代に残した宝物。
植物に導かれるままに生きる「花在れバこそ吾れも在り」
◆練馬区立牧野記念庭園
大泉学園の駅からほど近い住宅街に、ひと際背の高い樹木が空に向かって枝を広げ、涼やかな植物の気配に包まれた一角が現れる。
その庭を誰もが自由に散策できるよう60年以上前から門を開く、練馬区立牧野記念庭園だ。
牧野富太郎。キンモクセイ、ケヤキ、ヘラノキなど、日本の四季を彩る身近な草木1,500種あまりの新種・新品種を発見、命名し、日本初の本格的な植物図鑑を出版した“日本の植物分類学の父”。
その偉業は植物学の記録に残っても、学位や名誉や金銭に無頓着で、ひたすら植物を愛した破天荒な人間、牧野富太郎の魅力を雄弁に物語る場所はこの庭をおいて他にない。
1862年、幕末の動乱期に高知、佐川の造り酒屋の一人息子として生まれた富太郎は、生来の好奇心から寺子屋や藩の教育施設で旺盛に学び、明治の新制小学校の入学時はすでに12歳。
飛び級で次々上級に上がる途中で、もう学ぶことがないと辞め、小学校中退。これが牧野博士の最終学歴となる。
故郷の山谷を巡り、幼い頃から無性に植物に惹かれた少年は、向学心のすべてを植物に注ぎ、「高知の外にはまだ見たことのない植物がある」との思いに駆られて19歳で初めて上京した際には本やドイツ製顕微鏡を携えて帰郷。
独学で植物の分類法を学び、さらに先へ進むには「日本中、世界中で集めた標本と比較する必要がある」と、22歳で東京大学理学部の植物学教室の扉を叩く。市井の植物学研究者として。
Text=Chiyo Sagae
Photographs=Asami Enomoto