この映画で真相を追求したいわけではない

――今回のように、実在の事件がモチーフだと「役者の感じたことが正解」と言うのにもある種の決心や勇気が必要ではなかったですか?

 僕はこの映画で、真相を追求したい、というわけではないんです。事件をなぞるのではなく、事件のようなシチュエーションの中で、役者さんが何を感じるのか、生身の人間を置くことで何が起こるのか、をやってみたかった。

 脚本を書いているとどうしても頭の中での想像になってしまいますが、俳優さんはすべてを五感で味わうわけです。血に濡れる感覚、触ったときの感情……それは、当事者しかわからない。その感覚こそが、人間の“何か”に迫ろうとしたときに最も大事だと思うんですよ。

 取り換えがきかない個人が持った感覚を掬いとるのが、映画を作ることだと僕は思うんです。最大公約数的な何かに当てはめるわけではなく。

――役者自身を、「本物」にしていくアプローチですね。だから「信頼」という言葉が出てくる。

 そう、前提として、人間を圧倒的に信頼する。映画は、反社会的でも反道徳的でも、ありとあらゆる人物を描くことができるんです。現実では難しいですが、映画ではちゃんと見つめられる。

 犯罪を犯した人は社会では隔離されますが、ひょっとしたら僕たちで形成される社会から産み落とされてしまったのかもしれない。なぜそうなってしまったのかを考えることが、僕たちが生きていく社会を豊かにすることにつながるんじゃないかと思っています。

――ちゃんと“人”を描く、ということですね。だからこそ、えぐられるけれど心に響く。

 ただ、秋子や周平がホームレスになるシーンを描くことには、女性のそういった姿を描いていいものかとすごく勇気が必要でした。まだ、日本という国では受け入れられていない気がして。

 この国は、「女性にはこういう風にいてほしい」というような願望が強いというか、性差別の側面で鈍感ですよね。女性が男性と同じように社会で活躍することは、逆を言えばもし失敗したら、全財産を失って路頭に迷うことになるかもしれない。

 それがある種の対等だと思うのですが、女性がホームレスになることを受け止める雰囲気がまだ醸造されていないように感じていて、悩みましたね。

――新型コロナウイルスで外出自粛が敷かれ、貧富の差が広がり、家庭内暴力も増えてしまったといわれています。そんな時期に、テーマが重なる本作が公開されることについて、どう感じていらっしゃいますか。

 時代的には、この親子のような存在が生まれにくくなっているかと思っていたんですが、そんな中でコロナが起こって、また変わってしまった。

 コロナによって、ほとんどの人々が家庭内に隔離される。そしてソーシャルディスタンスによって、ふれあいが減る。この状況では絶対に大切なことなんですが、一方でコミュニケーションが減っていくことは怖いなと思います。

 難しいですよね。映画でいうと、社会から隔絶されているからこそ、秋子と周平は純度を保った、ふたりにだけしかない深い絆で結ばれたと思うし、幸せな感情は絶対にあったはず。それがあったから、周平は秋子を信頼できたのだと感じています。ただそれが、あのような結果になってしまうんですが……。

 映画も現実も、こうやって考え続けていくことが大切なのかもしれませんね。

大森立嗣(おおもり たつし)

1970年生まれ、東京都出身。大学時代に自主映画を作り始め、卒業後は俳優として活動しながら荒井晴彦、阪本順治、井筒和幸らの現場に助監督として参加。2005年に『ゲルマニウムの夜』で監督デビュー。『さよなら渓谷』(13)で、第35回モスクワ国際映画祭コンペティション部門の審査員特別賞を受賞。近年の監督作品は『セトウツミ』(16)、『光』(17)、『日日是好日』(18)、『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(19)、『タロウのバカ』(19)など。

映画『MOTHER マザー』

長澤まさみ×阿部サダヲ×《新人》奥平大兼×大森立嗣監督
母と息子。ひとつの殺害事件。実話をベースに描く感動の衝撃作――

2020年7月3日(金) TOHOシネマズ日比谷ほか全国公開
©2020「MOTHER」製作委員会
https://mother2020.jp/

SYO

映画ライター・編集者。映画、ドラマ、アニメからライフスタイルまで幅広く執筆。これまでインタビューした人物は300人以上。CINEMORE、Fan's Voice、映画.com、Real Sound、BRUTUSなどに寄稿。Twitter:@syocinema

2020.06.30(火)
文=SYO