「死にゆく町」の真相とその美しさ

 チヴィタ・ディ・バーニョレージョはイタリアのラツィオ州にあります。

 切り立った崖の上にあるその町の歴史はとても古く、約2500年前、古代エトルリア人によってつくられました。中世に最盛期を迎え、その頃の面影をそのままに残す、趣深い集落です。

 ここが「死にゆく町」と言われる所以は、その地盤が少しずつ崩落し続けていて、まさに失われゆく町だから。

 もともと、この辺りは火山灰が蓄積してできた凝灰岩のため、風雨の浸食を受けやすい上、地震の多い地方なので、その影響で町のある丘は少しずつ崩落し続けているのです。

 現在、町へ行くには長い一本橋を渡らなければなりませんが、その昔は、町へ渡る尾根で繋がれていたそうです。しかし、16世紀に起きた大地震で尾根は崩落、町はまさに陸の孤島と化したのです。

 また、記憶に新しい2016年に起きたイタリア中部地震でも被害を受け、一時は退去命令が出て封鎖されていました。未だ封鎖されている箇所もありますが、安全が確認された町中は、今は観光客も訪れることができるようになっています。

 この町を「死にゆく」と詠ったイタリアの詩人テッキは、その詩の続きで、儚さ故に輝く美しさをとても強く印象的に綴っています。

 今崩れゆこうとするその姿を儚いとも言えますが、いわば文明の始まり、紀元前から続く町と思えば、儚さよりも奇跡とも言える強さでそこにあり続ける町。その一見矛盾する2つのものを内包する姿こそが、人を惹きつけて止まないのでしょう。

 チヴィタ・ディ・バーニョレージョ、その強さと儚さが織りなす鮮烈なまでに美しい景色は、絶景と呼ぶにふさわしい場所です。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョへの行き方

国鉄オルヴェート(Orvieto)駅から、バスに乗り換えて、バーニョレージョ(Bagnoregio)で下車。チヴィタ・ディ・バーニョレージョまで徒歩約15分。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョがある
バーニョレージョ市のホームページ

http://www.comune.bagnoregio.vt.it/

藤原亮子 (ふじはら りょうこ)

イタリア・フィレンツェ在住フォトグラファー&ライター。東京でカメラマンとして活動後、'09年、イタリアの明るい太陽(と、おいしい食べ物)に魅せられて渡伊。現在、取材・撮影・執筆活動をしつつ、イタリアの伸びやかな景色をテーマに写真作品も制作中。イタリアでの日々をつづったフェイスブックはこちら。 https://www.facebook.com/chococogogo

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文・撮影=藤原亮子