フィレンツェの美女には聖母マリアの神々しさを重ね合わせたように、南イタリアの美女には生まれたてのヴィーナスの透明感がダブってくる。化粧品に頼らないイタリアの女性たちには、必ずそうしたお手本があった。
海から生まれた
ローマ神話の“ヴィーナスたち”
以前、フィレンツェの美女について書いた時は、その美しさを聖母マリアと重ね合わせた。厳かなる古都で今も息づくおびただしい数の宗教画が、そこで生まれ育つ女たちにとって有無も言わせぬ美の教科書となったのは、疑いようがないからだ。その証に、イタリア女性は化粧品に頼らない。元々メイクを必要としないほど深く美しい目鼻立ちに恵まれてもいるが、かくも多くのオベリスク的“美のお手本”に囲まれて感性を磨かれつつ生きるのだ。視覚で捉えるだけで美は女たちに憑依する。美しさの発露が別のところにあっても少しも不思議ではないのである。
でもそれはフィレンツェだけじゃない。イタリア最南端にまで行きわたった民族的特徴。イタリアでは、しばしばハッとするような美女に出くわす。ずっと眺めていたくなるような。かといって“美女の産地”とは違う。西と東の血がうまく融合すると必然的に美女の産地となるが、そうではないのだ。何かもっと、歴史が育み文化芸術が研ぎ澄ませてきた美貌。ピュアにして重厚、息を呑む透明感と、深々とした艶麗に満ちた美貌。
イタリアの重要な一面を俯瞰できる映画『ゴッドファーザー』では、主人公がシチリア島で見初めて結婚する美しい娘が登場するが、彼女は黒髪に黒い瞳、肌も少しだけ浅黒い。にもかかわらず恥じらう表情には息を呑む透明感があった。聖母の神々しい透明度とは違う。真っ白で可憐な花を咲かせつつ、謎めいた官能的な香りで人を惑わすチューベローズのように、ピュアな処女性を湛えているのに、妖艶さをも漂わせる艶やかな透明感。そうしたものを南イタリアの女性に感じるのは、“ヴィーナス”の存在を空気のように感じる土地だからではないか。
例えばボッティチェリの《ヴィーナスの誕生》も海に浮かぶ貝殻から生まれ出る無垢なミューズを描いているが、生まれたての裸体が既に婉麗な美しさに満ちている。そういう矛盾を、南イタリアの美女たちに感じるのだ。ギリシャ神話におけるアフロディーテが、ローマ神話では海から生まれるヴィーナスとして位置付けられるが、絵画では“ヴィーナスの誕生”ばかりが描かれたのも注目すべき点で、一糸まとわぬ姿にもかかわらず、恥じらいの表情を見せるのが常。この国がそうした処女性と官能性を併せ持つ女性美をこそ崇拝したからではないか。
南イタリアの女性は美しい女性ほどほぼ素顔であったり、スキンケアも石鹸で洗うだけという全くもって素朴なものだったりする。にもかかわらず人目を引く色香を漂わせている。その矛盾の美に、生まれたてのミューズの存在を垣間見ることができるのだ。
かくして化粧品に頼らない美しさを育んできた南イタリア。しかしここで生まれた2つのブランドが、日本でも今、注目を浴びている。とてもストイックにメディカルな裏づけと伝承療法的なテクニックを融合させ、安全性と効き目の両方で高い評価を得ているのだ。トラブルケアからデリケートゾーンケア、歯磨きまでを取り揃えたオーガニックコスメ、アルジタルは、オーガニック系の中でもダントツの人気を誇る。そして酵母菌抽出物と海洋成分を組み合わせて肌内酸素を働かせるという独自の理論が冴えるスキンケアとして話題のO2VITA(オー・ドゥエ・ヴィータ)。化粧品に頼らない土地だからこそ絶対に不可欠な化粧品を生み出す、それもまた矛盾が美しさを生む国である証だ。
アルジタル/石澤研究所
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齋藤 薫(さいとう かおる)
美容ジャーナリスト、エッセイスト。女性誌で数多くの連載を持ち、化粧品の解説から開発、女性の生き方にまで及ぶあらゆる美を追求。エッセイに込められた指摘は的確で絶大なる定評がある。この連載では第1特集で取材した国の美について鋭い視点で語る。各国の美意識がいかに形成されたのか、旅する際のもうひとつの楽しみとして探っていく。
Column
齋藤薫さんは、女性誌で数多くの連載を持ち、化粧品の解説から開発、女性に生き方に及ぶあらゆる美を追求している。この連載では、CREA Travellerが特集において取材した国の美について鋭い視点で語っていく。
Text=Kaoru Saito
Photo=Atsushi Hashimoto, Takashi Shimizu, Hirofumi Kamaya(still)