住居跡を復元。隣との距離感は当時に近いそう。 全長約32mの大型堅穴建物で集会所などに使われていたのかもしれない。柱は腐りにくいクリの木を使用し、炉の痕跡もあった。 竪穴建物の向こうには、豊かな森と八甲田山の景色が広がる。 膨大な数の土器。手前にあるのが6本柱の実際の柱の根元。 黒い漆塗りの跡から、漆が採取されていたことが分かる。 他の地域との交易があったことの証となるヒスイ製大珠。北海道、新潟、長野地方からの交易品が見つかっている。 茸形土製品は食べられるキノコを模したもの、と分析する研究者もいる。 石は遺跡から2~3kmの所にある大湯川から運ばれてきたもの。 珍しい五角形の浅鉢形土器。中には花弁状文(蟹の爪のような文様)が描かれている。縄文時代後期は多種多様な土器が作られていた。 空を見上げると虹が現れ神秘的な雰囲気に。 縄文の人々はサークルを作るため傾斜があった土地を平坦にしたとされている。 藤の木の下には蟻塚のような土坑墓(埋葬する施設)がある。 土と植物に覆われた竪穴建物はてっぺんが樹皮に。穴を実際に掘って土の量を測ったところ上までは土がのらなかったため、最上部は樹皮のみで復元した。 炉の跡が残っていた住居内を復元。 屋根の隙間から空を見ていた? ウルシが植えられたエリア。他にも布を編む材料になったアカソなど暮らしに役立つ植物が充実。 約1,500点もの鏃が出土。 駐車場から遺跡入口に向かう吊り橋。 記事を読む