大原美術館の前をゆく倉敷川には往時と変わらない時が流れる。 日本最初の西洋美術館である大原美術館は多くの物語を抱え、今を見つめる。 【エル・グレコ (ドメニコス・テオトコプーロス)《受胎告知》1590年頃-1603年】1922年にパリで児島虎次郎が購入した、大原美術館唯一のオールドマスターによる作品。児島の理念と収集活動を反映する、美術館の成り立ちを語るに欠かせない作品の一つ。 【エドモン=フランソワ・ アマン=ジャン《髪》1912年頃】1912年、最初の渡欧から帰国する際、児島は「日本の芸術界のために最も有益なる次第にて」と大原孫三郎に依頼の手紙を送り、この作品を購入。大原美術館の礎となるコレクションの第1号となった。 【クロード・モネ《睡蓮》1906年頃】1920年、児島はジヴェルニーにモネを訪ね、日本に持ち帰れる作品を懇願。1カ月後、モネが用意した数点の候補作から、この作品を選んだという。 2000年、モネの池から大原美術館に株分けされた睡蓮。 本館、分館、工芸・東洋館の3館で常時約1,000点を展示。 倉敷美観地区でひときわ目を惹く、ギリシャ神殿風の本館。 美術館の前を流れる倉敷川には仲良く泳ぐ白鳥の姿も。 【児島虎次郎《和服を着たベルギーの少女》1911年】1909年、児島は孫三郎の支援によってベルギーに留学。この作品はその時代に描かれた名作で、後に日本の美術界のために作品を収集し、東西の文化の架け橋となる児島の気概が伝わってくる。 【関根正二《信仰の悲しみ》1918年】1950年代から大原美術館は近代日本美術の収集に着手。当時こうした美術館は稀であり、まるで美術全集をめくるかのようなコレクションが形成された。 【カミーユ・ピサロ《りんご採り》1886年】戦後、美術館の運営は孫三郎の息子總一郎が主導。ピサロなどの名品を購入し、それまでの西洋近代絵画コレクションの「欠け」を補った。 建物は薬師寺主計による設計。約3,000点の美術品が収蔵されている。 記事を読む