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向田邦子型と森茉莉型

酒井 父のことを書いているのは、圧倒的に女性作家が多いですよね。『父・○〇』というタイトルのことが多いですが、作家の父について娘が書いた作品はたくさんあります。

 やっぱりウケるんだなぁ。

酒井 では息子はどうかといえば、あまり多くない。その点、「父の娘」という言葉もあるように、父のことを書くことによって自分が完成するという感覚が娘の方にはあるのかもしれません。有名作家の父を持つ家庭に息子と娘がいる場合、父のことを書くのはなぜ、息子ではなくて娘が多いんだろうと、かねて疑問に感じていました。そういう意味でも、『この父ありて』をとても面白く読ませていただきました。

酒井 少し乱暴かもしれませんが、女性作家の伝統的な父の描き方は、向田邦子型と森茉莉型に大別できるような気がするんですね。

 向田邦子型は、父のダメなところをたくさん描いておいて、でも最後には「こんな愛しいところがある」と終わらせるスタイル。森茉莉型の方は、徹頭徹尾、父を尊敬し、父に愛された娘を描く。森茉莉型の方が少ないとは思いますけれど。

 そういう意味では、今回取り上げた中のひとりである詩人の石垣りんさんは特異なタイプです。彼女の作品に出会い、この人のことを書きたいと思ったことが『この父ありて』に取り組む実際的なきっかけのひとつになったと思います。彼女はとても辛辣に父を描いていて、ここまで書ける人がいたんだ、と衝撃を受けたんです。

 彼女の父は4度結婚しているのですが、老いてなお、娘のいる家庭の中で妻に甘えるような人でした。狭い家の中で、なんていうか、ベタベタするんですよね。病気だったので、りんさんが一家の大黒柱として働き、生計を立てていた。ただ、その職場、銀行は女性が活躍できる環境や時代ではありませんでしたから、出世の道はなかった。彼女自身はとても優秀な女性だったのですが。

 そうした色んなことに対する複雑な想いがない交ぜになって、父を辛辣な形で詩にすることになったんだと思うんです。

 りんさんが詩を発表していたのは、組合の機関紙という小さなメディアでしたが、小さいとはいえ、身内について厳しく書き、それを活字にするということはなかなかできませんよね。彼女は本質的に“書く人”だったんだと思います。

2022.12.15(木)
文=文藝春秋第二文芸編集部
撮影=鈴木七絵