花嫁は誰もが主役、誰もがスター。祝福の日、夢の幕が開き、永遠の幸せなドラマが始まる。魔法の合図は、NYから届いた純白のダイヤモンド。その高貴な輝きの秘密を紐解く。


3つの甘い響きを耳にして誰もが夢を描くダイヤモンド

 「キング・オブ・ダイヤモンド」、「スターたちのジュエラー」、「NY」。あまりにも華々しく荘厳で、うっとりするほど甘いこれら3つの響きを以て、ハリー・ウィンストンを想像しない人はいないだろう。1932年にNYで創業以来、かのジュエラーは数々の歴史的な宝石を手中に収め、革新的なジュエリーをデザインし、世界中のスターを輝かせてきた。

 その原点は言わずもがな、創始者、ハリー・ウィンストンにある。

 「私は宝石の知識を身につけて生まれてきたに違いありません」─そう語っていた彼は、小さな宝石店の息子として、幼いころから高貴な輝きに触れてきたサラブレッド。12歳のとき、質屋で二級品に埋れていた2カラットのエメラルドに目を奪われ、25セントで買った2日後に800ドルで売られた話は有名だ。

 自らの名を冠するブランド設立後もその見識眼は発揮され、世界の歴史的に貴重なダイヤモンドの何と1/3を所有し、「キング・オブ・ダイヤモンド」の名をほしいままに。原石は彼の手で優美なジュエリーに変わり、世界中の女性、そして花嫁たちを虜にし続けている。

 一方で「キング・オブ・ダイヤモンド」は慈善活動に努めたことも特筆すべきだ。1949~1953年には希少なダイヤモンドのチャリティ展示会「Court of Jewels(宝石の宮廷)」を主催。また革命下のフランス王室から盗まれ、巡り巡ってハリー・ウィンストンにやってきた“ホープ・ダイヤモンド”を、1958 年にワシントンのスミソニアン博物館に寄贈した。

 “世紀を超え、大陸を超えた歴史を持つ宝石こそ、分かち合うべき”。そんな宝石の魅力を広めたいという情熱からの決断である。

 神秘の濃青色に輝く“ホープ・ダイヤモンド”の他にも、30年代の「ヨンカー」や「ヴァルガス」から近年の「ウィンストン・ブルー」に至るまで、圧倒的な数・大きさ・品質を誇る歴史的な宝石をハリー・ウィンストンは獲得してきた。そこから生まれるジュエリーの魅力について雄弁に語ってくれるのは、やはりスターたちだろう。

 レッドカーペットでの歴史は、1944年のアカデミー賞にて、主演女優賞に輝いたジェニファー・ジョーンズにジュエリーを貸し出したことに遡る。1946 年のヒッチコックの名作『汚名』ではイングリッド・バーグマンが優美に着けこなし、マリリン・モンローは1953 年『紳士は金髪がお好き』の挿入歌「ダイヤモンドは女性の親友」で、“教えて、ハリー・ウィンストン! 私にダイヤモンドのすべてを”と歌う。

 また1967 年に発見された601カラットの原石「レソト」のうち、40.42カラットにカットされた「レソトⅢ」は、海運王オナシスが購入し、婚約指輪としてジャクリーン・ケネディに贈ったものである。

 そして1999 年、アカデミー賞主演女優賞を受賞したグウィネス・パルトロウのフレッシュな装いは未だ記憶に残るほど。グウィネスの印象により、21世紀のハリー・ウィンストンとスターの関係はより蜜月になったといえよう。

 マリリン・モンローが歌ったように、いつの時代も「ダイヤモンドは女性の親友」である。“花嫁になる”そんな特別な日こそ世界を魅了するスターのように。ハリー・ウィンストンが放つ輝きで永遠の主役になりたいものである。

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