歴史的な音楽家たちの面影が息づく都市

 歴史とモダンな感性が共存する、オーストリアの古都ウィーン。豊かな自然に囲まれ、宮廷文化の名残を残すこの街には、歴史的な音楽家たちの面影が息づいている。

 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地である楽友協会ホールもそのひとつ。30代から亡くなるまでオーストリアの地を愛したヨハネス・ブラームスは、楽友協会ホールの独特な気品漂う空間にインスピレーションを受け、数々の名曲を書き残した。

 美しい音楽を楽しみながら、変わらぬ街並みを眺め、歴史に触れる贅沢な休日を楽しみたい。

楽友協会でウィーンの伝統と悠久のひとときを楽しむ

 オーストリアの首都ウィーンは、ハプスブルク帝国の華やかな宮廷文化が栄えた歴史的な都。ウィーン盆地の西端に位置し、丘陵地帯である「ウィーンの森」に沿って南北に広がっている。広大な自然に囲まれた人口約191万人の世界都市である。

 ウィーンといえば、何より数多くの音楽家を輩出した「音楽の都」であり、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、マーラーなどこの地で活躍した作曲家は数限りない。

 「世界で最も美しい響き」と名高いウィーン・フィルの本拠地であるウィーン楽友協会もここにある。ほぼ毎年行われる来日ツアーでは、チケットが即日完売するほど人気の高いウィーン・フィルの「聖地」が、楽友協会ホールなのだ。

 ウィーン・フィルの金色を思わせる輝かしい音は、「世界で最後に生き残ったローカル・オーケストラの音」とも言われ、もうひとつの有名オーケストラであるベルリン・フィルとは対極の、「グローバル化しない」昔ながらの響きを保っている。

 ウィーン・フィルでは、奏者から奏者へ譲り渡された古い楽器を使い、独特のヘルツ数でチューニングを行い、楽友協会ホールのアコースティック(残響)にあわせて練習しているという。ウィーン・フィルはこの街と同様に、いい意味で古風な一面がある。

オーストリアを愛した作曲家
ブラームスのインスピレーションの源

 ところで、ウィーン楽友協会には、毎年元日のニューイヤーコンサートの会場としておなじみの大ホール(通称:黄金ホール)の他に、「ブラームス・ザール」という一回り小さいホールがある。

 このホールは、ドイツ出身の作曲家ヨハネス・ブラームス(1833-1897)から名づけられた。

 ブラームスは『ヴァイオリン協奏曲』、4つの交響曲や『ハンガリー舞曲集』など、現在でも頻繁に演奏される不朽の名曲を書き残した。38歳で出身地のドイツからウィーンに移住しウィーン・フィルや楽友協会とも深い絆で結ばれながら、63歳で亡くなるまでウィーンで暮らした。

 ウィーン在住のヴァイオリニストのヨアヒム(『ヴァイオリン協奏曲』に多くのアドバイスを与え、初演も務めた)や、シューマン夫妻と親交を深め、29歳以降はウィーンを活動の拠点としている。楽友協会ホールの主催演奏会の指揮者になってからは、指揮者として画期的な試みを行い、一晩にいくつもの作曲家の曲をとりあげるという、現在のコンサートに通じる形式を作り上げた。それまでは、コンサートは一人の作曲家の作品発表の場で、複数の作曲家の曲が演奏されることは稀だった。

 作曲家として成功し、多額の印税を得るようになると、ブラームス自身は質素な生活を続けながら、楽友協会ホールの新設に際して多額の寄付を行った。

 楽友協会ホール近くのカール教会の木陰では、椅子に座って物思いに耽るブラームス像を見ることが出来る。ウィーンはブラームスが生涯愛した街で、作曲の霊感の宝庫だった。

文=小田島久恵