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ポケモンクイズの日本一を決める大会で

――それほどテレビ業界に入りたいと熱望するようになったきっかけは?

 きっかけはふたつあって、ひとつは小学校5年生のときに参加したポケモンのクイズ大会です。『ポケモン☆サンデー』(テレビ東京)という番組の企画で、ポケモンクイズの日本一を決める大会があったんですね。その東京予選を勝ち抜いて、北海道で行われた決勝に参加できたんです。ロケをする中でテレビの裏方の仕事を初めて見て、いつも好きで観ていたものが現実になった感覚がありました。ディレクターさんやカメラマンさんをはじめ、ひとつのテレビをつくるために多くの人が動いているのを目の当たりにして「かっこいい」と思ったんです。出ていてもすごく楽しくて、放送後もいろんな人に「楽しかった」と言ってもらえて、いろんなところで「楽しい」を生んでいる職業なんだな、って。将来こういう仕事をしたいと思いました。

――漠然とした憧れではなく、すごく具体的な出会い方をしているんですね。

 ちなみに、これには後日談があるんです。就職して1年目のときに、一緒に仕事をしたカメラマンさんに「実はこういうきっかけがあって、北海道にはちょっとゆかりがあったんです」って話をしたら「俺、それ撮影してたよ」って言われて。「マジですか!」ってなりました。めちゃくちゃ大変なロケだったらしいです(笑)。

――人生の伏線回収じゃないですか。もうひとつのきっかけはなんですか?

 もうひとつは、母親が長野県の地方局で働いていたことですね。地方局は記者とアナウンサーが兼任のことが多いんですが、そういう仕事をしていたんです。だからテレビに関しては小さい頃から観るだけじゃなくて裏方や技術的なことにも興味がありました。今回、取材を受けるにあたっていろいろ見返してみたんです。小学校のときは文集で「映画やテレビのプロデューサーになりたい」と書いていて、中学では「放送作家になりたい」、高校では「テレビのディレクターになりたい」って書いてましたね。

――今回、二木さんにご登場いただいた理由のひとつに、大学のお笑いサークル出身で今もコンビ「西村」として「M-1」に参加されているというところもありました。そのプロフィールは近年のお笑い界のある種のトレンドを体現されているように思います。子どもの頃から一貫して裏方志望だったにもかかわらず、大学以降は舞台に立つようになったのはなぜですか?

 サークルに入るときも裏方志望だったんです。お笑いサークルではフライヤーや映像制作もするので、そういうのをやりたいなと思って。同じ学部の女の子と一緒に入ったんですけど、その子は演者志望で「コンビを組む人がいないから一緒にやってほしい」って言われたんですね。私はお笑いが好きすぎて、舞台は神聖なものだから自分なんかが立ってはいけないと考えていたんですが、それを先輩に話したら「そんなに好きなら一回やったほうがいいんじゃない?」と言われて。「じゃあ学生の間だけやってみようかな」と一回漫才したら、もう楽しすぎちゃって。

2023.12.06(水)
文=斎藤 岬
写真=平松市聖