この記事の連載

 配信プラットフォームが活況を呈し、テレビの観られ方が大幅に変わりつつある今、番組のつくり方にもこれまでとは違う潮流が勃興しています。その変化の中で女性ディレクター/プロデューサーは、どのような矜持を持って自分が面白いと思うものを生み出しているのか。その仕事論やテレビ愛を聞く連載です。

 今回は、テレビ東京開局60周年特別企画ドラマスペシャル『生きとし生けるもの』のプロデューサーである、テレビ東京の祖父江里奈さんにお話をお伺いしました。


「私はうまく環境を乗りこなし、生き残ってしまった側の人間」

――『モヤモヤさまぁ〜ず』や『YOUは何しに日本へ?』など人気バラエティ番組でディレクターを務められた後、2018年にドラマ室へ異動されてプロデューサーに。毎年、異動希望を出していたそうですね。

 そうですね。もともとドラマがやりたくてテレビ業界を志したんですが、テレビ東京は1年目からドラマ室にはいけないんです。「まずはバラエティで修行を積みなさい」と配属されて、うっかり10年経ってしまってました。

――なぜドラマにそれほどの思い入れが? 子どもの頃からの憧れだったんでしょうか。

 最初にテレビに憧れたのは、幼少期に観た『アメリカ横断ウルトラクイズ』(日本テレビ系)がきっかけでした。あれが忘れられなくて、「あんなエンターテインメントをつくりたい」って。その後、高校で演劇部に入り、大学でも演劇や映画のサークルに入ったことで、大きく「エンターテインメント」という括りだったところからドラマや映画など物語を紡ぐものに興味が絞られていきましたね。

――学生時代にはご自身で演劇の脚本を書き、舞台にも立っていたそうですが、その方面に進もうとは思わなかったですか?

 そこはやっぱり、最初に憧れたテレビが根底にあったんですよ。そこはブレませんでした。単純に、テレビマンってかっこいいじゃないですか(笑)。『美女か野獣』(フジテレビ系/2003年)や『ラヂオの時間』(1997年)のような、業界モノの作品を観て憧れるミーハーな思いは少なからずありましたね。

――入社前、テレビ局で働く女性にはどんなイメージがありましたか?

 私が就職活動をしていた頃は「テレビ業界=男社会」といわれていたので、そんな中で負けずに頑張っている女の人は強くてかっこいいイメージでした。実際に入ってみたら、これはテレビ東京だからなのかバラエティーだったからなのか、男女の差はあんまり感じませんでした。AD時代は男女関係なくボロ雑巾になるまで働かされたので(笑)。

 ただ、男の人ばかりの環境で「女の子だから」とちょっとかわいがられたという意味で精神的に楽だった部分があったかもしれないです。追い詰められて辞めていくのはむしろ、男の人のほうが多いと思う。もちろんセクハラみたいなこともなくはなかったし、それが嫌で辞めていった子もいるから「全然大丈夫でした」とは言えませんが……。なんというか、私はそういう環境をうまく乗りこなしてこれてしまった、生き延びてしまった側の人間だなと思っています。

2024.05.01(水)
文=斎藤 岬
撮影=平松市聖