この記事の連載

仕事をしながらお笑いをやるのは理想に近い形ではある

――それはどういう楽しさなんでしょうか。

 高校ぐらいまでは自分が「面白い」と思っているものをあんまり口にしてこなかったんです。お笑いライブにひとりで通っていて深夜番組も大好きだったんですけど、周りの友達とはそれは共有できなかった。自分にとって「面白い」が神聖なものだからこそ、それを否定されたり傷つけられたりしないように封じ込めてました。でもサークルに入ったらそういう人がたくさんいたんです。そこで舞台に立って「面白い」と思うものを初めて表現したら、「面白いよ」って笑ってくれる人がいた。それが漫才をしたときの楽しさだと思います。その分、スベったときはめちゃくちゃきついですけど(笑)。

――そんなに楽しかったのに、芸人になろうとは思わなかったんですね。

 大学お笑い全体でいうと、私が1年生のときの2年生にあたるのがラランドのサーヤさんや令和ロマンの(高比良)くるまさんで、4年生にはナイチンゲールダンスさんがいたりして、とんでもないタレント性と面白さを持っている人たちがいっぱいいたんです。それで自然と「ここでは戦えない」と思いました。

 それに、テレビで仕事をしていても思うんですが、芸人さんになったらなったで自分が意図しないこともやらなきゃいけないときが出てきますよね。私はお笑いや漫才に関しては絶対曲げたくないんです。アマチュアでやっていたら曲げなくていいじゃないですか。もちろん曲げずに自分のスタイルを貫いて売れている芸人さんもいらっしゃいますけど、それは本当に一握りの厳しい世界なので……。だから仕事をしながら自分の好きなお笑いをやるのは理想に近い形ではある気がします。

制約の多い地方局でお笑い番組を作る難しさ

――入社前に「地方局ではお笑いの番組がつくれないかもしれない」と思っていたそうですが、実際に働いてみて、どんなところで地方局ならではの難しさを感じますか?

 ひとつは移動にかかるコストです。芸人さんを呼ぶとなると交通費や宿泊費がかかるわけですけど、そのコストをかけてでもやる意味があるのかというのがどうしても出てきます。もうひとつには、視聴者の方に求められているかどうかです。やっぱり地方局の主務は地元の人に情報を届けることなんですね。エンターテインメントの分野でキー局に勝とうとしても無理な話で、だったら情報に特化したほうがいいという発想がベースになっていると思います。お笑い番組をつくるにはその2つの関門を突破する必要があるんです。

――それはTVerや配信が定着しても変わらない?

 つくったものが面白ければ全国に広がるようになったという意味での影響は大きいと思います。でも会社ベースで考えると、最初にコストがかかるのは変わらないんですよね。特にうちの局はお笑いやバラエティをつくってきた歴史があんまりないので、初めてつくるとなると難しくて。

――その中で『ZEKKEI NETA CLUB』はどうやって実現したんでしょう。

 入社3年目で報道情報部からコンテンツ制作部に異動になって、初日に部長と面談があったので企画書を持っていきました。その後、部会でも「こういうことがやりたいんです」と言い続けていたら、ちょうどそのタイミングで局長が変わったんですね。新しい局長はバラエティ志向が強くて「どんどん企画を上げてきて」という雰囲気になったので、持っていったら「やってみろ」と。

2023.12.06(水)
文=斎藤 岬
写真=平松市聖