州都の公立高校は公民権運動の舞台となった

リトルロックの知事公邸。ビル・クリントンも知事時代はこちらに住んでいた。

 デルタ地帯を後にして、アーカンソー州中央部にある州都、リトルロックへと向かう。ここは、元アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンの地元。そして、元帥ダグラス・マッカーサーの出身地でもある。

左:チーズもたっぷり入った「コミュニティ・ベーカリー」のキッシュ。
右:デニッシュやドーナツもおいしそう。

 こぎれいな感じの街の中心部にある人気カフェ「コミュニティ・ベーカリー」でキッシュやグレービー&ビスケットなどアメリカらしいメニューの朝ごはんを食べる。

Community Bakery(コミュニティ・ベーカリー)
所在地 1200 Main Street, Little Rock, AR 72202
電話番号 +1-501-375-7105
URL http://communitybakery.com/

レンガ造りの大きな「リトルロック・セントラル・ハイスクール」。現在の生徒数は2500人近くに上り、その半数は黒人生徒が占めるという。

 このリトルロックの街に、かつて全米の衆目を集めた人種差別騒動が起こり、アメリカの公民権運動の大きな舞台になった場所がある。それは、今も生徒が通う公立高校「リトルロック・セントラル・ハイスクール」だ。

 1954年、公立学校における黒人と白人の分離教育が、アメリカ合衆国憲法に反するとの判決(ブラウン判決)が下され、1957年にリトルロックでも融合教育化のために、9人の黒人生徒が転入することになった。

 ところが、白人有権者層をバックに就任した当時のアーカンソー州知事が、あろうことか州兵を派兵してこの登校を阻止、融合教育に反対する白人層も生徒を取り囲み、人種差別の大騒動となる。

9人の黒人生徒は、兵に守られながら登校した。

 これは、全米のみならず国際社会からも注目を浴び、当時のアメリカ合衆国大統領アイゼンハワーが、精鋭の米陸軍第101空挺師団を派遣して、9人の黒人生徒達は、この軍の護衛付きで登校をしたのだった。

教科書を抱えてなんとか通学しようとする彼らの像の表情には、不安と苦難が感じられる。

 彼らは、「リトルロック・ナイン」すなわちリトルロックの9人と呼ばれ、登下校時だけではなく、校内でも激しい差別やいじめを受けた。1人の生徒はいじめの挑発に反撃をして停学となってしまうが、1958年には1人が卒業をする。

 しかし、なんとその後に件の知事はリトルロック内の融合教育高校をすべて閉鎖してしまう。リトルロックのすべての高校で融合教育が実施されるようになったのは1972年。

ヒストリックサイトの案内に立つ青年も「僕もこのリトルロック・セントラル・ハイスクールの出身ですよ」とにこやかに答えてくれた。

 今は、全校生徒のうち約半数は黒人生徒。そして、アメリカ公民権運動で大きな意味を持つこの経緯を示すため、この高校の近くに「リトルロック・セントラル・ハイスクール・ナショナル・ヒストリックサイト」がある。

Little Rock Central High School National Historic Site
(リトルロック・セントラル・ハイスクール・ナショナル・ヒストリックサイト)

所在地 2120 W Daisy L Gatson Bates Dr, Little Rock, AR 72205
電話番号 +1-501-374-1957
URL http://www.nps.gov/chsc/

「ウィリアム・J・クリントン・プレジデンシャル・ライブラリー・アンド・ミュージアム」にもリトルロック・ナインに関する展示が。

 リトルロックの9人は、生徒の1人が卒業してから41年目の1999年に、栄誉あるアメリカ合衆国の議会名誉勲章を得る。その勲章をリトルロックの9人に授与した人物こそ、アーカンソー州出身の第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンだ。

ホワイトハウスにある大統領執務室のレプリカも興味深い。

 リトルロックには、ビル・クリントンの業績や大統領の仕事についての展示がされているミュージアム「ウィリアム・J・クリントン・プレジデンシャル・ライブラリー」もある。

William J. Clinton Presidential Library and Museum
(ウィリアム・J・クリントン・プレジデンシャル・ライブラリー)

所在地 1200 President Clinton Ave, Little Rock, AR 72201
電話番号 +1-501-374-4242
URL http://www.clintonlibrary.gov/

2015.08.18(火)
文・撮影=小野アムスデン道子