「悼む」という行為が喚起する壮大なる問いとは?

坂築静人(高良健吾)が日本全国を旅しながら行う「悼む」という儀式は、彼と関わった様々な人たちの死生観に大きな影響をもたらす。

 「誰に愛され、愛したか、どんなことをして人に感謝したか」

 亡くなった人について語るとき、色眼鏡を通さずに人物像を表現できるのは、この3つの問いに対する答えだけかもしれません。この3つを記憶することは、決して逃れることのできない「死」に対し、人間ができうる精一杯の抵抗とも言えます。記憶することは、“死を永遠の生”に変えること。つまり最大の愛情と感謝の表れと言えるでしょう。

 映画『悼む人』は、親友の死をきっかけに、日本全国で不慮の死を遂げた人々を記憶する旅に出た坂築静人を主人公に、彼をめぐる人々が織り成す人間ドラマ。見ず知らずの人々を悼む際、彼が大切にしていることこそ、愛と感謝に焦点を当てたあの3つの問い。なぜ、どう亡くなったか、そこに不条理があったかどうかには関心を寄せません。興味本位で“現場”を訪れているわけではないのです。

 でも、着古したブルゾン、膝の擦れたジーンズを身につけ、背中には大きなリュックを担ぎ放浪する静人を怪しむ人は少なくありません。なぜ? そんなことをして何になるのかと。静人自身も明確な答えを持たないせいか、人々は苛立ち、怒り、不安になり、不快になります。偽善だ、感傷的だと批判します。ところが、ある者たちは3つの問いかけが呼び起こす「愛と感謝の記憶」によって、穏やかな心を取り戻すのです。

奈義倖世(石田ゆり子)は、夫のDVから逃れるため入った施設の宗教家・甲水朔也と再婚するが、執拗に「殺してくれ」と頼む彼を手にかけてしまう……。

 初めてこの物語に触れる観客の中には、最初は彼の行為に疑問を持つ人もいるでしょう。死と真正面から向き合う静人は、まさに死生観のリトマス試験紙。彼の行動を見て生まれる反応は、生や死、愛とどう向き合ってきたかということと深く関わっています。だから、観客の反応も十人十色で当たり前。この物語はすべての感情を決して否定しません。決して説教臭く静人の正当性を説いたりしないし、彼に否定的な人々を断罪したりもしません。それなのに話が進むにつれて、彼の行いに理解や共感が芽生えてくるのを感じる人もいることでしょう。

 死の不条理と向き合うために彼が導き出した「悼む」という行いが、「なぜ人間は生き、死ぬのか」という壮大なる問いを思い起こさせ、その答えを探す旅に同行しているような気持ちになるからかもしれません。静人はさながら、人生最大のミステリーに挑む旅の案内人といったところでしょうか。

2015.02.21(土)
文=牧口じゅん