高良健吾の足取りはまるで巡礼者のよう
言うまでもなく、原作は、作者である天童荒太氏が直木賞を受賞したベストセラー同名小説。80万部もの発行部数を誇るということは、死と真剣に向き合っておきたい人が多い証でしょう。
本作が突きつけるのは容赦のない死の現実です。例えば、死は誰にでも平等に訪れるけれど、死に様は決して平等ではないということ。死んだら平等になるかというとそうでもないこと。同情される人、死んで当然だと思われる人、惜しまれる人、そして誰にも思われることのない人がいること。永遠に記憶される死と、忘れ去られる死があること。そこにはひとつひとつ人生があったはずなのに、災害や事故では、死者が数値化されることも多いということ。そのやるせなさに気づいてしまった静人のような者にできることは、縁があろうとなかろうと、故人の生前の生き様に関係なく、ひとりひとりを覚えておくことなのかもしれません。
映画では、不平等と不条理に溢れる社会に馴染めない、不器用で誠実な静人の様子が母によって明かされますが、実はこの青年こそ原作者そのもの。天童氏が本作を書いたきっかけは、2001年のアメリカ同時多発テロと、その報復攻撃で多くの死者が出たことだったといいます。それを機に、世界が不条理な死に溢れていることに無力感をおぼえ、各地で亡くなった人を悼んで歩き、日記を3年にわたって記したとか。その体験から生まれた思いが小説の元になっているのです。
原作の中では映画以上に繰り返し、静人の悼む行為とそれを目の当たりにした人々の反応が描写されています。心情をありありと映し出す描写は、想像だけでなく、実際に見て、聞いて、感じた者だけが絞り出すことのできる言葉の積み重ね。そこから滲み出る思いが、読み手にじっくりと馴染んだとき、その人なりの「悼む」という価値観が形成されていくのです。
ゆっくりと、でも確かに人の心を動かす力強い原作の世界観を描ききるには、映画の138分という時間はあまりにも短いと言えるでしょう。ただ、原作を読んでいない人にとって映画は、この壮大な物語への入口となるはずなのです。
そして原作ファンにとっては、物語の精神をより深く理解する手引となるのは確か。それを可能にしている最大の理由は、静人に扮する高良健吾の存在。彼が体現する静人の、温かく包みこむような声、落ち着いた話し方、真摯なまなざし、穏やかな所作から、天童氏が表現したかった人物像をより深く理解することができることでしょう。ひたすら歩く姿もなかなかのもの。撮影中はかなりの距離を歩き、肉体的にも過酷な撮影だったそうですが、それが功を奏したのか、長い距離を歩いた者だけが醸し出す、重いけれど確かな足取りは巡礼を思い起こさせます。『悼む人』に触れるのは、ある種の巡礼と言えるのかもしれません。その果てにあなたの心に芽生えるのは、どんな「愛と感謝の記憶」なのでしょう。
『悼む人』
堤幸彦監督は、2012年に上演された「悼む人」舞台版の演出も手がけている。その完成度の高さに感銘を受けた原作者の天童氏が堤監督による映画化を快諾し、本作の製作がスタートすることになった。シンガーソングライター、熊谷育美による主題歌「旅路」も印象的。
(C)2015「悼む人」製作委員会/天童荒太
URL http://www.itamu.jp/
2015年2月14日(土)ロードショー
牧口じゅん
通信社勤務、映画祭事務局スタッフを経て、映画ライターに。映画専門サイト、女性誌を中心に、コラムやインタビュー記事を執筆している。ドッグマッサージセラピストの資格を持ち、動物をこよなく愛する。趣味はクラシック音楽鑑賞。
2015.02.21(土)
文=牧口じゅん