この特集ではスーザンや、本でも出会いのエピソードに触れた、後に映画監督になるマイク・ミルズと、他の雑誌ではなく『花椿』で一緒にできたことが重要だったかなと思います。『花椿』で実現できないことがあると、必然的に外の世界で書くことも多かったのですが。長い準備と説得の期間を経て、ようやく自分が芯からやりたいと思う企画を『花椿』で実現できたんです。

 その少し前にも「ボアダムス」への興味から生まれた「大阪オーラ」特集(96年10月号)をつくることができて、それも当時の私がやりたかったことでした。編集長の交代で93年4月号から大規模な誌面リニューアルがおこなわれたのですが、その時期から徐々に、自分の企画が通りやすくなったということもあると思います。

――99年の『花椿合本』表紙では、市川実日子さんがスーザン・チャンチオロのTシャツとデニムスカートを着てリラックスした雰囲気でたたずんでいる。こういうことができるようになっていった、ということですよね。

 私が編集部に入った80年代の後半には、『花椿』の表紙のファッション写真はロンドンやパリで撮影していました。自分の関わりが増えるにつれて、スーザンだけでなく、当時パリコレに出てきたばかり、といった若いデザイナーの服をパリから送ってもらって日本で撮影する、というつくり方に変えていきました。編集者が取り上げたい洋服を選んで、それを日本で撮影する。ファッションを遠く離れた存在から、自分の日常に近いところへ引き寄せることができたかな、と思います。

 90年代、日本のファッション雑誌においては、ファッション的なイメージはすべて白人モデルで撮影するもの、という思い込みがありました。『花椿』編集部のなかにもそうした意向があったというのは事実です。今からすると不思議な感覚かもしれませんが、みんながそうと思い込みながらファッション誌のためのイメージをつくっていた。当時、それを変えていくのはとても大変で、長期的に取り組んだことのひとつでした。

2023.05.01(月)
文=「文春オンライン」編集部