月刊誌の『花椿』を編集しているなかで、同世代の編集者やクリエイターに出会うチャンスが徐々に生まれました。それは『花椿』でよく原稿をいただいた執筆者の方々、池内紀先生のような世代の方とはまったく違う顔ぶれでした。勢いのある同世代の編集者たちがいる『STUDIO VOICE』や『DUNE』から少しずつ執筆の声がかかって、自分が書きたいことを書けるチャンスを見つけて、ガーリーカルチャーなどについて執筆していました。

 その流れで依頼が来たのが、『Baby Generation』の仕事でした。もとはといえば、1994年秋にX-girlのファッションショーのため、キム・ゴードンとソフィア・コッポラが川崎のクラブチッタへやってくるという情報をいち早くつかんでいて、一緒に取材しない? と写真家や編集者の人たちに声をかけていた私だったんです。そんなことから、そうした文化に興味をもつ人が草の根的に増えていった、という流れがありました。

 私自身は『花椿』の編集として企画を出して、映画ライターの松田広子さんにソフィア・コッポラのインタビュー(1995年4月号)、編集者の後藤繁雄さんにキム・ゴードンのインタビュー(同、「萬有対談」)をお願いしました。当時の私はこのキム・ゴードンの取材で、はじめて「エンパワーメント」という言葉を聞いたんです。

――キム・ゴードンが94年に始めたX-girlがあって、『Baby Generation』に出てくる人たちがその後の林さんの仕事につながっていく。『花椿』でそのころ一番つくりたい企画を実現できたというニューヨーク特集(「ニューヨークのニューな部分」1997年2月号)は、アメリカン・カルチャーと距離があったという『花椿』の編集部にとってもかなり大きな変化だったのではないでしょうか。

 ニューヨーク特集はさまざまな出会いのもとになりました。なかでもスーザン・チャンチオロとの出会いは印象的で、1996年から2001年まで、スーザンが展開したRUNコレクションを夢中になって取材しました。

2023.05.01(月)
文=「文春オンライン」編集部