いつでも北に逃げたい。私は。
南の開放感、暖かさ、ほんとにいいものです。旅行でおとずれた春の沖縄は気持ちよかったよ。タイもよかったね。高知もそうだ。弛緩してた。たいがいのことはどうにかなるんじゃないの~、っていう楽天的な気持ちになれそうだった。
でも、南に住みたいとか、南の国で人生をやり直す夢を描いたりとか、そういう気持ちはまったくない。沖縄やタイに住むなんて想像もつかないし、絶対にいやだ。
私は、キツいときこそ北に行きたくなるのだ。都会での生活に倦んだとき、南に行って楽な気持ちになろうという方面に考えは進まず、北に行ってしまいたくなる。

大学生のときだったか、ふっと思ったこと、それは、なにもかも打ち棄てて突然新潟に行ってしまって、知り合いも頼りもまったくなくカネもないのでコンビニのアルバイトか何かをして、そのうちどうにか就職して、新潟で生きてゆくのだ、ということ。それは、ぜんぶやり直してしまう、という夢。鈍くかがやける夢。

いつも私は、北での生活を夢想している

なぜ新潟か、と言われても分かりません。何の縁もないし、行ったこともなかった。でも、そういうふうにまるごと今までの自分を生ゴミにしてポリ袋にでも抛りこんでパッと新幹線に飛び乗って着く先は新潟、寒い日本海の見える街がいいように思った。

今でもそういう、ふいにのたうちまわるほどすべてが嫌になったとき、虚しさと倦厭のからみあいの膨張が収斂していくさきは北なのです。そのころは新潟がそれにぴったりだと思っていた。最初に入った会社を辞めようって思ったときには青森に行った。30歳の誕生日には、雪深い北海道に行った。そしていつも私は、札幌や仙台の不動産情報などをネット上で探しては、北での生活を夢想している。

この北に逃げたい衝動を、私は「逃北(とうほく)」と呼んでいます。
「敗北」に似たニュアンスでとらえていただきたいけれど、敗北ほどに否定的な意味ではない。逃北は、ただ単に辛い気持ちを倍々にふくらませる行為ではありません。空気が冷たく張りつめた、どこか殺伐とした場所に自分を追いこむことが私にとっての癒しなんです。

逃北の目的地は、単に緯度が高いところだけではありません。「北っぽい」と感じるところであればいい。十分に逃北できます。
日本で考えると、北海道はもちろんのこと、東北地方全体が逃北の対象です。なかでも日本海側は北っぽさが濃厚。緯度は下がるけど、北陸も逃北の対象です。だいたい「北」という字がついてるし、世界有数の豪雪地帯だから北っぽさは十分です。
私は北の地で活力があふれるわけではなく、淋しさに打ちのめされるわけでもない。そこでただ自分自身の満たされなさと「北」が同化していって、ひんやりとわだかまりが霧消していくのを楽しむだけです。やわらかいあきらめのような気持ちが生まれます。
私はふだんの生活雑事や都会の時間の流れから逃げたくなったとき、北行きの電車や飛行機に乗りこんで、北のなかに身をうずめるのです。逃北したい!

初めての「逃北」

私がはじめて意識的に「北」に行ったのは、大学の卒業旅行。
新潟に逃げる妄想は結局妄想のままフェイドアウトしていました。私は学生時代に小さな旅はぽつぽつとしていたけれど、ろくにバイトもしていない学生だったのでお金もなく、海外はおろか、国内でも2泊以上の旅行はほとんどしていなかった。卒業旅行は自分と縁のある場所に行ってみようと思い、数年訪れていない北海道に行こうと思い立ったのです。それも最も寒い2月に、一人で。

もちろんカネはない。車も運転できない。だから新幹線も特急も一切使わず、すべて各駅停車のJRかバスでの移動です。
以下を見れば分かるように、旅程はむちゃくちゃだ。

  • 1泊目、東京発・秋田行きの深夜バス(その後、青函トンネル経由で北海道へ)。
  • 2泊目、函館発・札幌行きの深夜バス。
  • 3~5泊目、網走の大学に通う友人宅(拠点にさせてもらって道東各地に行った。網走在住の友達も車を持っていなかったので、移動はすべて鉄道の各駅停車)。
  • 6泊目、札幌発・函館行きの深夜バス。
  • 7泊目、秋田発・東京行きの深夜バス。

距離が遠いこともあって北海道の親族とはだいぶ疎遠になっていたので、泊まらせてもらうのは気が引けた。だから、まともに泊まった場所はたまたま網走にひとり暮らししていた友達の家だけです。行きも帰りも深夜高速バスの2連泊、バス泊でサンドイッチになってる無謀な日程は若かったからこそ組めたんだろうなあ。いまこれをやったら死ぬ。

自分に縁のあるところが見たい

この旅の目的は、第一にただ「冬の北海道を見たい」ということだったんですが、ほかに細かな目的として、「自分に縁のあるところが見たい」というものがありました。

母方の祖母は道内を転々としながら育ったらしいのだが、よく話にのぼるのは陸別という町でした。北海道足寄郡陸別町。いま「日本一寒い町」を売りにして町おこしをしているところですが、もちろん祖母が子供だったころもものすごく寒く、私はよく祖母から「学校まで行くあいだに睫毛が凍った」なんて話を聞いておりました。

旅の5日目、網走の友人宅を出て北見を経由し、いまは廃線となった「ちほく高原鉄道」で陸別に向かいました。陸別になにがあるかなんてことはまったく調べていないし、名所らしい名所なんてほぼないことは分かっていた。ただ祖母がここで暮らしていたんだなあという感懐を得てみたかっただけだから、いいのだ。

陸別は晴れていました。2月だからもちろん街は一面雪景色ですが、快晴。寒さを売りにしているだけあって、駅を降りたらすぐに巨大な温度計がでーんと構えている。青空のもと、温度計はマイナス13度を示しておりました。
は~ん。大したことないもんだね。
これがふぶいているならもちろん街歩きを断念するほどの厳寒に感じるのでしょうが、快晴・微風のマイナス13度はさほどでもなかった。マイナス2ケタなんて未知の世界だったけれど、この数値で、かつ歩きやすい気候というのはグッドタイミングだね。