世の中には、避暑を除いて、「北で心身を休める」という考えはないみたいなのです。私は、南でリラックスするのと同等に、日常を離れて北に行くことに当たり前のように癒しを感じていたのだけれど、それを説明なく分かってくれる人は非常に少ない。そもそも好んで北にばかり旅行する人はほとんどいないし、北海道や東北など北の出身の人にいたっては、わざわざ北ばかり旅することに拒否反応すら示す人もいます。

 私が特に北に行きたくなるのは、生活でのストレスがたまり、一度いまの状況から逃げたい、と思うようなときです。そのとき、北の涼しさ寒さ、荒涼感や殺伐さは私の味方となり、私に落ち着きを与えてくれる。

 この北に逃げたい衝動を、私は「逃北」と名づけました。この本では、私の十年間(といっても、間にかなり空きがありますが)の「逃北」をまとめています。

こんなにも北に惹かれる理由

 しかし私は、自分がなぜ北に逃げたくなるか、なぜ北で癒されるかという理由について人に分かるように説明することができませんでした。つかれたときなどに北に行きたくなるのは当然のことだと思っていたのです。

 しかし、十年間の軌跡を追い直してみて、私の逃北願望の根底には、私が北にルーツを持つ人間であり、かつ、私自身は「北らしさ」から遠く離れてしまったという事実が強くはたらいていることに気づきました。

 私の両親は北海道生まれの北海道育ちで、親戚筋もほぼ北海道に住んでいます。北海道に入植する以前にさかのぼっても東北や北陸がルーツであり、言わば私は純然たる「北の血統」となります。しかし、私自身は残念ながら父の仕事等の関係で、人生の九割以上を関東地方で過ごしてきてしまいました。両親が話す言葉には北海道なまりや東北系の方言がまだ残っているけれど、私自身は「北の人」として育った意識が希薄なのです。