この記事の連載

 映画ライターの月永理絵さんが、新旧の映画を通して社会を見つめる新連載。第8回となる今回のテーマは、「問題を抱えた子どもたち」。

 現在公開中の映画『システム・クラッシャー』の主人公・ベニーは、ある“願い”が叶わず問題行動を繰り返す9歳の少女。社会のシステムに従わない彼女に、大人が出す答えとは? 対して5月17日公開の『ありふれた教室』では、大人が子どもを不寛容な世界に閉じ込めていく――。


悪態をつき、叫び、ものを破壊する子はコミュニティから追い出されてしかるべき?

 学校で、家で、街中で、いつも問題行動を起こしてしまう子どもたち。悲しいことに、そうした子の多くは「問題を抱えた子ども」と呼ばれ、社会のなかで居場所を失いがち。学校や家庭などの集団生活の場で、ひとりの子だけに特別な配慮をするのは、多くの場合難しいからだ。結果的にそうした子たちは孤立し、たいていはその場を追い出されてしまう。

 けれど、そもそもそうした子たちをつくりだすのは大人たちではないだろうか。大人の都合に合わせて行動できない子を「問題」としているにすぎない。問題があるとすれば、子どもの側にではなく、社会のシステムにこそ問題があるはずだ。

 ドイツ映画『システム・クラッシャー』は、問題を抱えたひとりの子どもの姿を通して、その子の居場所をつくれない、社会の側の問題を描く。主人公は、自分の感情をうまくコントロールできない9歳の少女ベニー(ヘレナ・ゼンゲル)。母親や弟妹と離れて暮らすベニーは、これまで里親の家庭やグループホーム、特別支援学校に託されては、その都度問題を起こし別の場所へとたらい回しにされてきた。

 彼女は一度強い怒りに駆られるとどうにも止められず、凄まじい勢いで悪態をつき、叫び、相手に殴りかかり、ものを破壊する。大人が数人かかっても抑えきれないベニーの凄まじいパワーは、周囲の人々を傷つけ、結果として彼女はどこの居場所からも追い出されてしまう。

 これが初長編となるノラ・フィングシャイト監督は、養護施設を取材するうち、攻撃的な性格ゆえに行く先々で問題を起こし、施設を転々とせざるを得ない子どもたちがいること、そして彼らが「システム・クラッシャー」と呼ばれるのを知り、制御不能な少女ベニーの物語を作り上げたという。ベニーが感情を制御できない理由のひとつは、赤ん坊のときに受けた父親からの虐待。病院でカウンセリングを受けても、安定剤を飲んでも、根本的な解決にはならず、問題を起こすたびに治療法はより負担の大きなものになっていく。

2024.05.04(土)
文=月永理絵