ポニョとボロも

 本田 はじまりはまだコロナ前、2016年の夏頃ですね。当時、僕は宮﨑さんが原作・脚本・監督を務めた短編の『毛虫のボロ』の作画監督として、机を並べて仕事をしていたんです。ジブリ美術館でかけるオリジナル短編ですね。実は『崖の上のポニョ』もお手伝いしたことがあって、宮﨑さんと仕事をするのは初めてじゃないんです。そうした会社を超えた仕事は、業界では当たり前にあることなんですよ。

 でも、机を並べて絵を描くのは初めてで、最初は緊張しました。『ボロ』の作画をしていると、宮﨑さんが横で本を読みながら、なにやらメモを熱心に取っている。それも、あまり目立たないようにコソコソしていて、様子がおかしいんです。何の本だろうと思って見ると、アイルランド人作家が書いた児童文学でした。『ボロ』とは何の関係もない本です。

 もしかして次の作品かなと思って、「それ、何ですか」と聞くと、「いや、こうしてメモを取りながらじゃないと本が読めないんです。忘れちゃうから」と言っていました。おかしいなと思いましたよ(笑)。今思えば、それが『君たち』の初期段階の企画メモだったんですね。

 それから数カ月が経って、『ボロ』のラッシュチェック(編集前の撮影素材を確認すること)をしているときに、宮﨑さんから声を掛けられました。僕はその翌年にあたる2017年、長年携わってきた「エヴァンゲリオン」の劇場版をやることになっていたので、本当に悩みました。

 本田氏は人物描写からアクション、巨大ロボットまで、巧みな画力が高く評価され、関係者の間では「師匠」と呼ばれている。制作会社のアトリエ戯雅等を経て1988年にガイナックスに入社。若くして頭角を現し、庵野監督作品である『新世紀エヴァンゲリオン』のテレビアニメ版と劇場版の作画や原画を担当した。ガイナックスを離れた後、『千年女優』『アニマトリックス』などで作画監督を務め、後年、庵野監督が代表を務めるカラーに再び合流していた。

2024.01.26(金)
出典元=月刊「文藝春秋」2023年9月号